思った。間もなく、今まで暗かった庭の芝生の一角に、応接室からの洩れ灯以外の別の光りが射し、一本立っている樅の太い幹が浮き出ていた。そして、襖を開けたてする音につづいて間もなくドアが開いた。
「やア、これは――遅くから失礼してるんですよ。」と塩野は頭髪を撫でつけ、千鶴子の母らしい人に立って云った。
「まア、わざわざ送っていただいたりしましてね。由吉が電話で今夜は帰れないって云って来たもんですから、そのつもりで早く寝みましたのよ。」
塩野にゆっくりした口調でそういう千鶴子の母は、矢代の方を少しも見ようとしなかったが、それでも無意識にむじな菊の着物の襟を併せていた。千鶴子には似ない細い眼尻の下り気味のところや、下ぶくれの豊かな頬には、幾らか気ままな感じも含み、特に長めの睫毛の影には、裕福そうな落ちついた品もあった。どちらかといえば由吉に似ていたが、人を容易に受けつけそうもないおっとりした白味の多い眼は、家中で一番権威を具えた存在なことも、ひと眼で矢代には呑み込めた。千鶴子がすぐ次に矢代を母に紹介した。すると、千鶴子の母は笑顔を消し初めて矢代をじっと見詰めたまま、何も云わずにお辞儀をした。それは一寸恐わそうな怯えを帯んだ表情で、視線を下に落すと、あたりの床を見廻しながら、
「この子はわがままな子なもんですから、皆さんにいろいろ御迷惑おかけしたことだろうって、そう申しているんでございますよ。ほんとにこの子は。」
笑いもせず襟を併せ併せいううちにも、徐徐に遅い微笑が泛んで来た。矢代はその笑顔を見て、初めて、これで心の通じる部分も必ずある人だと思った。
「小母さん、宇佐美の外国行きの用意はもう出来てるんですか。お急がしいでしょう。」と塩野は訊ねた。
「あの人はのんきなものだから、行くんだか行かないんだか、分らないんですのよ。先日も藤沢さんがいらして下すったんですが、あの方一緒につれて行けって仰言るのに、君なんか連れてったらおれの悪事が露顕するからいやだ、なんて申すんですよ。」
「藤沢が来ましたか。あれは今度、幹部になったなア。」
「そうですってね。あの方のお母さんとは父兄会でお会いしたきりなんですが、御病気ですって。」
小さいときからの皆の交遊の深さも思われる塩野たちのなじみぶかい素ぶりだった。矢代はそういう話を物珍らしく聞いていたが、宇佐美家への自分の日の浅さもまた次第に
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