「何がおかしい。あれで僕が負けたんなら、腹を切るよ。」
久慈一人はなお不機嫌であったが、それが却って周囲の三人に浮き浮きとした雑談を湧き上らせた。しかし、久慈は急にボーイを呼んで勘定を命じた。一同ぼんやりして黙っているとき、
「じゃ、今日はこれで失敬する。」と久慈は云って一人皆の勘定をすませて外へ出て行った。
千鶴子が来てから矢代の生活も少しずつ変って来た。午前中それぞれ自分のホテルにいるのは前と同じであったが、正午はドームに落ち合って昼食を共にし、それから見るべき所を散歩かたがた一二ヵ所ずつ見て、夕食はその日の嗜好物に随い料亭を選び変え、各自のホテルへ帰る前には、また一度ドームへ立ちよってお茶を飲むという習慣になって来た。この習慣はどこから来ている外人の旅行者も同じことで、考えれば誰も極めて単調な生活をしていた。殊にパリという所は来てしまえば、どこを見物しようとか、誰それに逢いたいとか、勉強をしようとかとそのような気持ちは全く無くなって、ただ遊んで暮すことが何よりの勉強になると思いえられる所であった。また事実それに間違いはなかった。
一番愉快なことと云うのは、他人と議論をすることか、あるいは誰とも話さずぼつりと一人路傍のベンチに腰かけていることか、先ず特種な遊楽場以外の楽しみはさておきそんなことより他にはない。随って一度び議論となるとそれは果しなくつづいていく。その日の議論は逢う度びに前の議論の延長であり、またどの立場を取ろうとも、終局の負けというものがどちらにもないという強味を発見し合って来るのであった。これが例えば日本で議論をするとなると、忽ち終局は必ず法網に触れて来るので、どちらも黙ってそれ以上の議論はうやむやの中に引っ込めてしまうか、さもなくば、ヨーロッパの論理へ樋をかけて水をその方へ引き流し、日本の歴史を外国のこととして戦い合う。間違いはすでにそのとき敢行されているにも拘らず、錯誤の連続であってみれば、自身の知性で間違いを一度び正すとなると、論理らしいものを一応は尽く根から噴き上げてしまいたくならざるを得ないのだった。それからもう一度考え直す。矢代も今はそういうことを絶えず頭の中で繰り返している時期であった。
ある日、矢代は自分のこの得た確信を元として、千鶴子にヨーロッパに対して絶対に卑屈になるなと話してみた。
道を歩いていても少し汗ばむほ
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