だから、まア、出来れば結婚もするさ。」
矢代は無駄な塩野の結婚に対する躊躇を払い除けたくてそう云った。しかし、塩野にはまた少し違ってそれが響いたと見え、女性に淡白な若ものに見受ける、眼の間に海老のような皺を作って露わな皮肉を泛べると、突然、
「じゃ、君のはどうだ。」と矢代の顔を覗いて笑った。
前から矢代は塩野の表情の中で、このような、こちらの思惑を断ち切って素通りしてゆくときの笑顔が、一番に頼りなかった。
「僕のはまた、夏炉冬扇で通用しないのさ。どうも困ったことだよ。」
「しかし宇佐美は君を賞めてるよ。ただね、あそこのお袋が妙な風な考えなんだね、それというのは、あのお袋は養子娘だから我が強くって、云い出したとなったら、もう他のことは、何もかも分らなくなるんだね。その点僕は君に同情してるんだよ。」
宇佐美のことについては、前から一度も口にしなかった塩野であった。それを云い出したところに、塩野の言外の意味を感じ、矢代は、急に打ち込んで来たものの正体を知りたくて彼の眼を黙って見返した。
「宇佐美家のことは、どうも僕にもよく分らないし、君以外からは聞きようもないのだよ。」
矢代は塩野から眼を灯台に放し、さみしく答えたものの、事実、自分は千鶴子の家のことに関しては、調査することもまだ進めず、またその用も感じたこともない自分だと思った。一つは怠慢とはいえ、それはむしろ、精しく知らぬ方が結果が良いと思っていたからでもある。千鶴子以外の他に誰かと結婚する意志でも起って来るようなときには、調査の上比較する必要も起るであろうが、そんな意志のない限り、知るより知らぬ方が便利でもあったし、知りたくとも耳を塞ぐ気持ちも良かった、またそれは、同時に自分の方についても同じだった。
「あの千鶴子さんはね、末っ子で、親からも兄弟からも可愛がられすぎるんだよ。そこがいつもすらすら通ることでも、結婚問題となると、反対にそれだけごつごつ難かしくなるんだね。何んでも侯爵夫人が間へ立っているとか僕は聞いたんだが、そういうことは、あそこのお袋は好きな人だよ。僕から見れば、今まで君が黙っているのはよく分るんだが、しかし、人には分らないからね。」
矢代と千鶴子との間のことは、見て見ぬふりをしていた塩野も、それだけは遁さずに淡白さを装っていたのかと思うと、千鶴子の兄の由吉と彼との友情のふかさも矢代には考えら
前へ
次へ
全585ページ中442ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング