はなかったので、一言答えただけで仰向きに長く伸びた。
「あの女の方は美しい方ね。でも、帯留が何んだか妙だったわ。」
「どんな方?」
 と母は訊ねた。
「ほら、兄さん、何んだか前へ動いて云ってた方があったじゃありませんか。モーニングだのにネクタイだけはぱッとハイカラな方よ。その方と御一緒の女のかた。」
 幸子は言外にも鋭い眼差で母を見詰めて云ったが、母は、ただ、「はア」と頼りなげな声を洩したのみだった。
「あの二人は火葬場まで行ってくれたんだよ。今度来たときはお礼を忘れないでくれないか。」
 仏前の蝋燭の明りが急に大きく揺れ出したので、芯を切りに立つついでに、矢代はそう云うと千鶴子の手紙のことも思い出し、自分の部屋へ入っていった。手紙の内容は別に取り立てたことではなく、侯爵邸の夜会で矢代と別れた後の模様が書いてある後で、今日は母が何んとなく自分に優しくしてくれるので嬉しくて、この手紙を書く気になったとだけあった。しかし、彼は「何んとなく今日は母が優しくしてくれるので」という簡単な文句が、温む水の霞んで来るような好い感じで読み終った。彼は記念のために、先夜読んだ藤原基経に関する史書の頁の部分へその手紙を挟んだ。
「寛平三年正月十三日、藤原基経歿す」
 とその頁には忌日もあった、新暦なら季節も丁度今ごろで父の忌日より十日先だと矢代は思い、なお基経のむすめの穏子の方の忌日も調べてみると、これも天暦八年、正月四日となっていた。
 これらの忌日の近さには別に意味があるわけでもなかったが、父の最後の夜に云った先祖の人物の名が、思いがけなくこの基経と同じだと思うと、ない意味もあるように矢代には思われてくるのだった。
 しかし、とにかくそうしている間も、彼は疲れでもう眼が閉じそうになったので、先日から敷き放しのままの寝床へ入った。そして、すぐ眠ると、また父の夢を起きていたときの続きのように見てばかりいた。死んでいる筈の父が、いつの間にか半身だけ起してあたりを見廻している夢だったが、寝かせても寝かせても、父の姿はいつの間にかまた半身を起していて、じっとどこか分らぬ方を眺めていた。
「お父さんどうしたんです。」
 と彼は夢の中で父に訊ねた。
 しかし、父はやはり何んの表情もない静かな顔のまま同じところを眺めつづけた。彼も父から手を放してその方を見てみたが、そこには何も見えずただあたりが真
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