で自分の中へ流れ崩れて来るかと思われる。何ごとか壮大なものの傾き襲ってくる激しさも覚えて彼は空を仰いだ。そして、必ず昇天しているにちがいない父の魂の行方に対して祈った。顔に降りかかって来る雪の冷たさが、天に向う悲しみのように巻きのぼっては、また心に沁み落ちて来た。
「今夜はお天気が激変しましたからね。」
歩きながら、そう云った医者の言葉をふと彼は思い出した。がまた、亡くなる前に久木男爵と会ったことを父に報らせて喜ばせたことも、争われず刺戟を父の血管に与えた一条件になっているとも思われた。彼は家の中へ這入ってから、火鉢に火を起している母の横へ坐り、何かするべきことを考えたが、特に何もするべきことも無いようだった。
「お父さんを寝せ変えましょうかね。」
と、彼は母を驚かせぬように注意して云った。
「そうそう。」
母と彼とは父の寝室へ入った。そして、牀の前へ新しく敷き変えた蒲団に、正しい姿勢で父を寝かせようとしたが、もう父の身体は板のようにぴんと足を張り、吊り伸びてこちこち鳴りそうに固かった。彼は父の胴の下へ手を廻して跼み込むと、顎が腹部へ触れたその途端、急に悲しさが込み上げて来て顔を父の腹に伏せたまま声を上げた。
「立派な顔になってらっしゃること。」
母は微笑を含んでいる父の高い額を撫でながら一言いった。すると、彼はまた急に悲しさが引いてゆくのを覚え、腕に力を籠めて父を抱き上げた。
「でも、喜んで死なれたんだから、まだ良かったですよ。ほんとにあんなに喜んでね――」
父を正座へ寝かせてからそう母は独り言をいって、子の矢代とは反対にどこか嬉しそうな表情だった。見たところ、少しも悲しそうでない母が矢代には分らなく、また物足りなかった。彼は火鉢を運んで来て、このまま父といつまでもこうしていたいと思った。一夜の看病も出来ずにしまった死の速さに、父の身体がどんなに変ってゆこうとも、激しくなお父のために疲れたかった。母は小箪笥から白い手巾を出して来て父の顔の上に拡げた。気のせいか、そのときから俄に母の腰が少し曲ったように見えた。そして、その老い込んだような姿でのろのろ部屋を出ていくのを見ると、矢代は、再び悲しさが込み上げて声を止めるのに困った。彼は自分の腕を横に噛み暫く声を殺してぶるぶる慄えつづけた。
朝になってから矢代は少し眠った。そして、正午ごろ眼を覚したとき、妹の
前へ
次へ
全585ページ中428ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング