さが、さきから矢代には分っていた。互いに慄える手を探り合って握りつつも、どこかに身の近づけぬもののある画廊ながら、矢代は、もしこれで千鶴子にいのちを失う踏絵のような場合が来れば、あの、細川ガラシヤの死の苦痛を軽めで死んだ小笠原少斎のように、自分もともに千鶴子と死ぬかもしれないと思った。
「このかた、田辺侯爵。」
 とまた暫くしてから塩野は矢代の傍へ来て云った。一度は会うことを約束されていた人が、いよいよ初めて顕れた緊張の仕方で矢代は礼をした。西洋での侯爵の日常をおよそ聞き知っている矢代だったが、想像とは違い侯爵は無表情なのどかな丸顔で、ポケットから手を出し黙って無造作な会釈をしただけだった。
 田辺侯爵にはどこといって目立った所はなかった。しかしやはりその無表情な、一見平凡に見えるところに、油断の出来ぬ人を素直に眺め感じる静物のような品と、城主の位とを具えていた。こういう垢脱けのした人物は一番恐るべき人で、また気兼ねのない伸びやかさを人に与えるものだった。
「どうも疲れた。いっぱいお茶を飲みたいが、一寸行くかな。」
 塩野は主人側の遠慮のある表情で、脱け出す機会を覗いながら、それでもまだ続いて顕れる知人の方へ忙しく歩を移すのだった。そのうち由吉が巨きな体でゆったりと階段の口へ立ち顕れた。不思議とぱっと光りを人中に放つ明るさを泛べた微笑で、由吉は侯爵の方へ歩んで来たが、二人は顔を見合せたまま挨拶もせず、いきなり冗談を軽く一口いってから写真を眺めた。彼だけはまだ外套も脱がず悠悠と煙草に火を点けると、首を緊めすぎた襟を弛める風に頭を廻して矢代に一寸笑った。見ていると、侯爵と由吉は実に呼吸の合った粋人同志だった。
「そうそう、今イスタンブールを廻っているよ。」とか、「グラスから手紙が来た。」とか、こういう会話のはしばしが、塩野を包んで一団の中から矢代の方へ聞えて来た。多分、外務省関係の知人たちと見えたが、またそれとは別の一団もあって、彼の血縁関係の人人らしく、この方は控え目な静粛さで隅の方に寄り塊ったままだった。
 塩野の両親は早く亡くなって今はいなかった。この孤児の彼を叔父が育て外国へまで遣っていたのだが、彼の叔父は一度国務大臣にもなったある有名な実業家で、今もなお塩野はこの家に起居していたから、恐らく親戚たちの一団もその叔父一家を中心にした集りにちがいなかった。実際この
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