ア。」
 と彼は呟きながら自分の使った食器の汚れ物を、バケツの中へ入れ、そして、煙草に火を点けた。千鶴子にだけ矢代の呟きが聞えたらしくちらッと彼を見た。
「でも、お美味しゅうござんしたわ。今日のお料理。」
 笑って云う千鶴子の後から槙三も下手な礼をのべた。食卓の上が片づいてから気怠い満腹のままコーヒーになった。暫く誰も黙っている静かな窓の外で、ときどき屋根から崩れ落ちる雪の音がした。矢代は耳の欹つその音を聞いていると、コーヒーの湯気のゆらめきかかる千鶴子の臙脂のマフラから伸びた頸の白さが、なまめいた色に見えた。そして、昨日と違う艶のある部屋になったと思い、片肱で身を卓に支えるのも重く感じた。


 その日は一日、矢代は今までに感じたことのない胸苦しさを感じた。なるだけ快活にしていることに努めてみても、ともすると、黙り込むことが多くなり、疲労のような気怠い重味を胸に覚えてときどき雪の中へ立った。夕食は宿で摂ることにしたので、彼は客を帰してから、ひとり千鶴子たちの宿屋へ出かけた。途中の坂路の曲り角の所で、宿の褞袍《どてら》を着た三人の女と出会った。その話し声の賑やかさが千鶴子の部屋と二つへだてた部屋の、潰れた汚い声の主だちだった。東京のどこか色街から来たと見える一行だったが、女将らしい六十近い肥った女が、二人の抱え妓をつれた夕食前の散歩らしく、
「おいおい、お前だよ今度は。」
 女将は男のような声で若い方の妓の肩を突つくと、一人は云われたまま坂の土手の雪の中へ顔を捺しつけた。前に同じようにして作られた女のマスク二つ並んだ横へ、今度は女将が最後に自分の顔を捺しつけてみて、
「ほう、おれのが一番おかめだよ。」と云いながら、三人声を合せてげらげら笑い崩れた。夕暮前のほの明るい山の頂を連ねたその下で、暫くまた三人は同じことを繰り返して笑いころげていた。
 矢代は邪気を無くした女らの戯れを見ていると、自分もともに顔を洗ったような爽やかな感じがした。彼は坂路に立ち停り、暮れ染ってゆく峰の雪を仰いで煙草を出した。そしてふと今夜自分は千鶴子に結婚のことを切り出してみようかと思い、俄に更った気持ちの動いて来るのを覚え元気になるのだった。
 矢代は宿の方へ歩きながらも、いよいよ結婚を定めるとすると、一度その前に、千鶴子の朝夕の祈りの際用いるカソリックの誓詞を聞いて置きたいと思った。それも知
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