から、これは本ものの科学派だと思い暗い幌蔭で自然と微笑が洩れて来た。
ときどき脇板から肱が脱れ落ち、矢代の下顎が千鶴子の肩に突きあたるほど橇が揺れた。路傍の崖の下は川だったから踏み転がる危険もあった。
「恐ろしいわね、大丈夫かしら。」
千鶴子も槙三の肩により掴まって云った。灯のまったく見えなくなった狭間の底を、橇の小さな洋灯だけぐらぐら覚束なげな足取りで踉けた。
「僕も初めて来たときは、このあたりで地獄の底へ行くように思ったんだが、着いてみると、この方が来た気持ちがするんですよ。まだまだ揺れる。」
矢代のこう云っているときでも橇は左右に揺れつづけ、風が幌を鳴らせてはためき、その隙から鋭く雪が舞い込んだ。矢代はふとまた橇箱の上で、例の千鶴子が風とともに飛び狂っていそうな気持ちに襲われると、外が闇であるだけ鳴る風に一層敏感になり、それがまたさも狂わしげにばたばた翅を屋根に打ちつけるように思われた。
「しかし、仕方がないじゃないか。今はこっちさ。」
と矢代は外の千鶴子に云いきかせるように胸中でたしなめ、
「実際そうだよ。」
と、思わずそんな叱る言葉もつづいて出た。が、それだけはうっかりして口から洩れたらしく、箱の中の千鶴子は聞き咎める眼でふり向いた。
「何に?」
「いや。妙なところだ、ここ。」
軽く彼は反らしたがひやりとして、自分のひそかな喜びを人に感じられては一大事だと、咄嗟に彼は現前の橇の中の自分に立ち戻るのだった。
「この山を廻ると、向うの高台に火が見えますよ。それが宿だ。僕の小屋はそれから少し上の方になるんだが。」
矢代はそう云いながらも、傍でさきから黙っている槙三が何んとなく気味悪かった。しかし、矢代は自分がひとり不正な快感に耽っているのでは少しもないと思った。人に知られては困ることにちがいなかったが、自分の丹精こめて愛したものが、愛しただけ自ら別の姿となって自分に現れ分るだけのことであり、そのどこに不思議なことがあるものかと、向き直る度胸も出るのだった。もしそれが人に分れば千鶴子にだって、僕の想っている千鶴子は君じゃないよ、もっと君から抽象した人だと、云うだけの準備も胸中で出来ていた。
橇箱の三人は何んとなく黙りつづけて雪の中を揺れていった。
宿の女中たちの玄関に出揃った廊下を、三人は所定の部屋へ渡った。部屋には炬燵も出来ていた。宿着に着
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