の来るときもう帰るんだったんですのよ。でも、少し延びたと云って来たものですから、急いであたし来てしまいましたの。まだお話しなかったかしら、あたし。」
「ロンドンにいらっしゃる事だけは聞いていましたが。帰られれば千鶴子さん、どなたかと結婚なさるんでしょうね。」
もう一番の訊きたいことを訊くことが、何んの不思議もない日常の会話のように見える様子で矢代は訊ねた。
「それもあるんですの。困るの。ほんとに。」
葵の花が薔薇に移り変る切れ目の所で、弁の縮れた模様を検べるような首垂れた千鶴子の細い眉が、花明りに照り映えたあきらめの静かな線を描いていた。矢代は予想が一つずつ的中してゆく恐れと同時に、千鶴子のその静かなあきらめが物足らなくなり、抑え難い暴力に似た力の湧きのぼるのを感じた。
「あなたはどうしてもその人と結婚しなきゃいけないんですか。」
矢代はふとこう問いつめたくなったが、そう云えばもう二人はお終いの頂きに出ることだと気がついた。彼は出かかった呼吸もひきとめまた暫く花壇の中を無言で歩いていたが、しかし、自分は自分の愛情だけは疑えない、これが嘘だといえる筈がないと思い直すのであった。
「さあ、御飯を食べに行きましょう。」
矢代は千鶴子を東門の方へ誘って公園を出てゆくと、今さきまでの狂い立つような気持ちを捨てリラの方へ歩いていった。しかし、歩くにつれて、もう別れねばならぬと思ううす冷い覚悟が視野の全面に漲って来て、立ち並んだマロニエの並木の黒い幹も、これも心に爪を立てられた思い出の一つになるのだと矢代は思い沈むのであった。
リラまで矢代たちの来たとき、リラは戸を閉めて全部の椅子が片附けてしまってあった。二人はそこから行きつけの食事場へ行ってみたが、その店も入口はみな閉っていて、テラスの椅子もテーブルの上に足を仰向けて並んでいた。矢代はまだ店が始らぬのかと初めは思ったが、見ていると通りから見える所の入口の向うで、いつも矢代の卓へサーヴィスに出て来たボーイ頭が支配人に立ち向い、何事かいどみかかるような興奮した姿で話していた。ぴったり閉じられたガラスの中なので話は聞えなかったが、電気の消えた店内の暗さを背景にしているため、漸く通りの明るみを受けた支配人とボーイ三四人の顔が、水族館の中の鮫のように物物しく映って見えた。ときどき穏やかな顔に弛んだり、また抗弁したりするボー
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