タン街でそこから彼女はこのオペラへもよく来たのだと思うと、いま現にここにいる自分を思い合せ、瞬間あッと胸中叫びを上げたいようなくるめく動揺を感じるのだった。
 しかし、すぐ次ぎに、アルマンの熱情こめた少し野暮ったいほどの純情な眼で、マルグリットをじっと見詰めている燕尾服の姿が現れた。その姿をひと眼見たとき矢代は、あの獲物を狙う鷹のような露骨な眼つきはとうてい日本人の自分には出来そうもないと思い、外人のピエールなら或いはそれが難なく出来るのかしれぬと想像され、時間の進行につれだんだん千鶴子の身辺が危かしく気遣われて来るのだった。それにこの美しい透明な旋律である。ピエールだってそのままの筈がない。――矢代は次第に迫って来る暗鬱な恐怖に意外な芝居になって来たぞと後悔さえし始めた。
 舞台ではアルマンを中心に手管の巧妙な遊蕩児の伯爵や男爵の酒の飲み振りの場がつづいた。そのとき突然ばったりマルグリットが倒れた。人人が追って来る。それを片手の手巾で追い散らし、ただ一人になったマルグリットの苦しげな傍へ、アルマンが来た。そして、真心こめた日ごろの想いを打ち明け出した。
 矢代はふとそのとき、千鶴子が自分を今夜ここへ呼び出したのは、実はここを自分に見せたく思ったのかもしれぬとそのように思った。すると、ただそれだけのことで場面はまた俄に自分の味方のように明るく見え始めて来るのだった。しかし、もしピエールがそのまま今のアルマンを気取ったら、何事か今ごろはそのような態度に出ていないとも限らないと思った。
「棄て給え、その恋、ああ忘れ給え……」とマルグリットは切なげに歌っている。
 舞台を見ていても何も眼につかぬ自分の空虚さを傍の真紀子が感じているであろうと矢代は思った。そして、今夜のこの意外な苦心は一層増していくばかりだと思うにつれ、これを避ける方法はやはり自分がこうしてここに出て来る他にはなく、また千鶴子もピエールの誘惑を避ける方法は、同様に自分にこの劇を見せる以外、考えつかなかったにちがいないと感じて来るのだった。
「やはりヴェルディの音楽がいいのね。あたし、ナジモヴの椿姫をむかし見たことあるけど、あれも良かったわ。」
 真紀子は幕が降りたときこう云って矢代と桟敷を出た。顔を直したばかりの真紀子の匂いが柱廊の光りの中でよく匂った。矢代は露台の欄干の傍に立って下の広いホールにゆらめく人
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