彼は駄駄をこねる度びにあのような憂いげな眼差しをよくした母を思い浮べながら、ケエドルセイまで引き返した。しかし、そこにも矢代たちはもういなかった。久慈はもう一度あたりを探してから車を真直ぐにモンパルナスの方へ走らせていって、いつものキャバレの前で車を降りた。踊場とは別室の酒場の椅子には人人の姿がまばらだった。久慈は雀のように台に連って饒舌っている踊子たちの中からなるべく母に似ていそうな顔を自然に探し、その傍へよって行った。
「君、なんて云うの。」
「ルル。」と女は答えた。
「ルルか。ルル、ルル。」
と久慈は呟きながら傍のダイスをとって物憂げに賽を振った。ルルは片手を久慈の肩に廻し自分も振り出した賽の目を見て、
「あら、明日は雨だわ。」
と云うと佗びしい小声で唄を歌った。その間も久慈はまだダイスを振り振り、真紀子の帰って来る時間を胸のうちで計っているのだった。このお客は誰か他の女を愛しているともう嗅ぎつけたらしいルルは、久慈の肩に手をかけたまま這入って来る新しい客の顔を眺めていた。
篠突く雨で道路は水を跳ね返しぼうと地上一尺ほどの白さで煙っている。その中を自動車が水を切って馳けてゆく。急に襲って来た夕立のこととてもう熄むだろうと思い、矢代はカフェーの入口の所で待っていた。二三日前から行方の分らぬ久慈に度び度び電話をかけてみても要を得ず、真紀子に訊ねても久慈とはケエドルセイで別れたままだとの答えである。無論、千鶴子も誰も知らなかった。この二三日、久慈に突きあたりすぎた自分を矢代は跳ね上る雨脚を眺めながら後悔した。ひっ附いていると突き合うくせに放れると心配になる久慈の善良な明るさが、だんだん自分のために湿ってゆく懼れも矢代は考え、どこへ流れてゆくか計られぬ彼の身を再び手もと近くに呼び戻したくなるのだった。
あまり客のいない室で静かに自分の国の新聞を読んでいる外人たちの中で、二人の日本人だけがしきりにベルリンとパリについて激論していた。一人はベルリン党と見え、ドイツの団結力と綜合力とが、パリの自由性と分析力よりはるかに勝って次の時代を進めてゆくという主張に対し、パリ党の方は、
「このパリの自由さ、このパリ人の平和への人間愛。」
という風な感激した言葉で反抗しているのも、矢代は日本ではなかなか見られぬ風景だと思った。しかし、日本でもこの二つの思想派は絶えず捻じ合
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