あるに相違なかったが、それにつけても思い出すのは、いつか塩野が横浜の埠頭で、小父から持ち出された縁談の処置に苦しんださまを矢代に話したときの事である。塩野のは、やがて起りそうな戦争を前にしては、結婚の意志あるなしに拘らず、一応ためらう良心の置きどころの苦しみであったが、今は予想ではなかった。現に戦争の起っているときであれば、誰しもこの事から超然とはしがたい悩みふかまる内心の問題であり、おそらく久慈も立ち騒ぐ周囲のものらの言動にことよせつつ、蔽いきれぬ彼の悩みも、文面多忙な匂いに変りむら立っているのかとも矢代は想像した。
 それにしても、矢代は自分と千鶴子との間に関することには他から触れられたくなかった。このような際の結婚の問題は、平和な日の結婚の内容に傘かむって来る自分の気持ちがうるさいばかりでなく、さらに相手にも同様に増して来るその傘を、払い除ける手間ひまの煩わしさに加えて、要らざるこちらの腹さえさぐられる不愉快さも量を増し、ために日ごろの良質のものまで姿をかき消す惧れもあった。千鶴子の場合にしても、矢代は、今まで結婚を延ばしている身でありながら、戦争となるや突然急ぎ出す挙に出れば、自分の身勝手ひややかにすぎ、それでなくとも延びている二人の間を、一層ひき延ばそうとする美しからざる不自由さも生じて来るのだった。これは思いがけないことだった。今さらにたじろぐ要なくとも、この微妙な一点で足踏みすべらせば、万事を瓦解に導く悲喜劇そちこちに見られるように、千鶴子の母にも、戦争が与えている動揺のきざしなしとは思えぬあたりの空気を、塩野は久慈に何んと洩したものか、そこにも矢代には計りかねるところがあった。
「君より僕の方がどことなく適任者は、うまいなア。」
 と矢代は久慈の手紙を前にしてひそかに苦笑した。ラスパイユの祭の夜、檻の中の電気自動車の遊び場で、千鶴子の胴に狙いを定め、得意な薄笑いで突撃して来た久慈の剽悍な眉もちらりと泛んだ。ピラミッドの穴の中を昇る暗中、喘ぎ喘ぎ鉄桟を切なく攀る千鶴子の手を、しっかり支え引き上げていた久慈の姿も泛んだりした。久慈の責任というのも、当時のその姿を彼も思い泛べての意であろうかと、矢代は遽に虚を衝かれたように手紙を畳み、マッチを擦った。

 久慈の手紙を見てから三日後、東野の講演会が日比谷であるので、同夜久慈や大石の歓迎を兼ねて集りたいと、塩
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