千鶴子は短く安心したひと言で決したようだったが、まだ何か、思いの残る風情で水面に動く鯉の輪を見降ろした。矢代はともかく昼食に落ち合う一休庵のある方へ車を探した。二人は丸山下で降りてから公園の中へ入っていった。夜桜はもう葉桜となって無数の糸を垂らしていた。姿の良いその幹を右に眺めながら、また少し登って池を越え山手へかかってから、二人は自然に道の細まる方へと足が動くのだった。
夜になって塩野と佐佐が東京から着いた。その後一時間を隔いて東野がまた来た。矢代は始めは皆から離れひとり出発するのをさみしく感じたが、落ちついて旧蹟を観るのは、やはり一人か二人の方が良いと思い、また父の骨を持った身で皆の歓びの中に混じるのは気もひけることとて、予定を変更して滞まる気にはならず、翌朝そのまま出かけることに決めた。
「とにかく、出来るだけ早く納骨をすませてから、また来るよ。僕のは葬式の延長だからね。」
こう彼はひき留める塩野たちに苦しく云ってはその場を切りぬけた。夜も皆の行き先きの料亭から、塩野と槙三、千鶴子と彼の四人だけ先に早くホテルへ帰った。東京でもすでに海外版の写真で活動を始めていた塩野は、明日からの京都の旧蹟を撮ることに、今から愉しみぶかい興奮を示して絶えず活溌に話したが、矢代だけは明日の別れもあり、また皆のものを京都へひき出したこの度びの責任の回避も覚えて、とかく沈みがちに気重くなるのだった。ホテルの自室へ戻ってからも、翌朝の出発を今夜の夜行にすれば九州からの戻りも一日早くなり、それなら帰途京都へ着くときもまだ一行に会われそうな余裕もありそうだったので、ためしに一応駅へ寝台の問合せを頼んでみた。すると寝台も一人ならまだ工面が出来るとのことだった。時間を見ると、その列車は後二十分より間がなかった。二十分では躊躇もされたが、それはまだ遅すぎるわけでもない間に合う時間だった。
彼は荷物をあわただしくまとめてみて、千鶴子の部屋へだけ行ってみた。
「僕ね、このすぐの夜行にしましたよ。皆さんに黙って行きますから、あなたから宜敷く――」
帽子を手にした矢代を見ると千鶴子は、不審しそうに黙って立ち上った。
「これで行くと一日早く戻れますからね、それだとまたここで落ち合えますよ。じゃ。」
矢代は答えも待たず部屋を出た。彼の後から廊下を随いて来た千鶴子にエレベーターの口で彼は手をさし出
前へ
次へ
全585ページ中534ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング