た。その中央の如来像も素足を踏み出すように宙に浮き霊屋の方へ人を誘う眼差しつよく、颯爽とした凄しさがあった。そして、もうこのあたりは悲しさは影もなく、見るもの一切が明るくのどかだった。誰もここでは、これで先ず安心と思うように出来ている空気に、矢代は感服し、自分も何に安心したのかきょろきょろ周囲の様子を見廻すのだった。
 誦経がすんでから、父の骨は三宝に載せられたまま、僧侶の手に運ばれてすぐ霊屋の石畳の方へ渡って行った。黄色な袈裟懸の袖の動くその方へ、矢代と千鶴子も急いで靴を履きついて行った。しかし、父の骨は、
「お前たちまだ来るな。」
 という風な、突きとばす迅い足もとで、素気なく石畳の上を渡り、霊屋の中へ消えて行くのだった。矢代はもう追っつけず唖然として遠くから三宝の上の白さを望みながらも、それでもまだ霊屋へ急いだ。
「迅い足だなア仏さんは。おどろいた。」
 人気のないひっそりとした霊屋の前で、矢代は賽銭箱に銀貨を落し、お辞儀の暇も急がしい気持ちにされるのが不服だった。父の骨は一番上段の扉を押し開いて見えなくなった。危く矢代はそれも見脱しかけ、やっと眼で父を追い送ってから、虚ろなまま立っていると、早くもそこへ空になった三宝を捧げた僧侶が戻って来た。そして二人の前を顔も見ず、すたすた行き捨てて石畳の上を渡っていった。
「なるほどなア。」
 と、矢代は思いあたる所があってこう呟いた。
 ここでは生きた人間のことなど憂うるのが愚かなことだ。見捨てられて行くのこそ逆に生への歓びと感じるべき筈の所だと思い、彼は爽爽しい思いを恢復してみて、もう一度賽銭を投げ直した。壁のない堂内の、透けた閑寂さの中に立った柱の細みも、背後の森の青さに射し洗われ板間に映るように美しかった。吹きぬけの向うで、杉の巨木の肌に流れた樹脂の艶が自然の潤いに見え、万事ここではこうして仏から放れた清潔さを保っているのが、自然に僧侶の心さえ変形させているのだろうか、神官に似たあんなに無表情な沈黙に僧を還らせるのも、ふとこぼれた人間の情かもしれない。
「これで僕も安心した。」
 と矢代は今度は、物足りた気持ちで、日の射す砂の方へ向き変った。霊屋の前から離れて行く二人の靴音が、石畳の上に響くのも、このときは生きているものの権威さえ覚えしめ自分の耳にはっきりと聞えた。渡殿の廊下をくぐり、また街の方へ向って勾配のある
前へ 次へ
全585ページ中532ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング