り、そこも桜の吹きこぼれた草の間を水が流れていた。巻き下って来る厚い泡の中には、桜を集めた塊りが浮んでいて、瀬の落ち込む水流に撥ねられ、花の団塊は熄む間もなくぐるぐる白い圏を描いていた。
 矢代は木橋の袂によって水面を見降しているとき、三十を二つ三つ過ぎた主婦が、片手に重い包みを携げ、片方で生れて日数のたたぬ赤ん坊を抱いて通っていった。着ぶくれた赤ん坊は母親の両腕から爆けそうにかさ張っていて、厚ぼったい綿入れのおくるみの襟が歩く度びに拡がった。別に取り立てた光景ではなかったが、見ていると、唇のようなその厚い友禅のおくるみが拡がるので、母親の眼が邪魔され、彼女は立ち停ると襟を口で啣え引きよせてはまた歩いた。その様子は、餌を啄んで来た親鳥が子鳥に物をふくませている必死の籠った恰好に見えて、矢代は暫くその母親の姿から眼が放せなかった。
 いつもの時ならともかく、夜になれば千鶴子のことを母に云い出そうと決めていたときだけに、親鳥のその姿は、自分の知らぬ部分の母の労苦に見えて胸を衝くものがあった。しかし、今彼は、そのような光景から特殊な意義を見つけたい気持にはならなかった。むしろ、今は自分もまだおくるみの中にいる児と別に違わぬように思われて、駄駄をもこねかねない自分になりそうな気もされると、いつまでたっても、子は子のようなことより考えられぬものだと思うばかりだった。理窟だけは一通り云うことが出来ても、母にはもう言葉など一切無用のものに見えて胸も透り、感謝の念も昂まって来るのだった。森の梢に風が立った。そして、夕日が校舎のガラスを射ながら沈んでゆくのを見おさめてから、矢代は家の方へ引き返した。出て来るときは、気重く充実した気持ちで坂を下ったのも、帰りはもう一度少年のころの駄駄を繰り返すような気軽さで家へも這入れた。家では夕食の用意が出来ていた。
 食事をすませてから湯に入り、お茶どきに母の呼ぶ習慣の時間の来るのを書斎で待っている間も、彼は、初めに母に云い出す言葉を一寸考えてみた。しかし、ひとり考えた通りの切り出し方は出来そうにも思えず、そのときの成りゆきに任せ自然に唇が動くままにしたいと思って彼は気を沈めるのだった。
 間もなく階下から母と幸子の話し声が聞えて来た。話は猫を病的に愛する癖のある隣家のことで、話のひまひまに幸子の笑い声が暢気に高くつづいていた。婦人ばかりの隣家には
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