なったので、厭だというのを無理にしたのだと弁護する。しかし、今は、村のものは、誰かを攻撃していなければ、じっとしていられないときである。これはどこでも同じであろう。正、不正などということではない。夫婦喧嘩一つでさえも、眼に見えたほんの些細な、悪結果の一つ手前の原因だけを追窮して、事足れりとするものだ。やっつけられる番のものは、現在では、人の気持ちをそれだけ救っていることになっているのだ。私は組合長の人柄について知るところは少しもないが、おそらく悪い人ではないだろう。あるいは、この村では一番豪い人物かもしれないと想像されるふしも感じる。一度調査してみよう。
仏の口を聞きに行った清江の心中というのを妻に聞かせた。清江の長男のこと、音信のまったくない樺太に出征中の長男は、八月に負傷して今病院に入院中だが、十月になれば帰って来るという。次ぎに、先日預り主に返した小牛の病気について、――この小牛は糞が牛らしくなく固くて、胃腸が駄目だという。このようなことを巫女の口を通した言葉として清江が言うとき、それを傍で聞いている末の子供の十二になるのが、恐がって、ぴったり清江の膝に喰っついたまま離れない。電灯の消えた部屋は真暗で、炉の火だけ明明と揺れている。
九月――日
暴風はすんだ。稲は倒れてしまったが、雨が風に吹き込んでいたために、穂に重みが加わり、頭をふかく垂れ下げて互いに刺さり込みあったその結果、実が風に擦り落されずに済んだ。これが風だけだと擦れあい激しく、実が地に落ちてしまって去年のようになるという。しかし、稲の代りに野菜類の実がやられた。稲さえ無事なら先ず今年の米は不作としても、危機だけは切りぬけられたというものだ。
暴風の後は上天気だ。米のない連中は早稲の刈り入れにかかっている。すでに刈り入れをすませてあった早稲の分は、充分だったといわれなくとも、何とか米にはなる程度に乾いている。少しの量だが、新米の出るまでの喰いつなぎには役立つほどだ。これで村から、死ぬ死ぬという声だけは聞かずともすむ。
「去年よりはまだましだ、去年は風ばかしだったでのう。」
と、空を見上げ田を眺めて洩す明るい笑顔が見える。次ぎの雨の来ない今のうちに刈り取らねば――
「ああ、今年は早稲の勝ちだ。暴風にあわずにすんだのは早稲だけだ。」
とそういうものもある。解除の軍隊の眠むそうな顔いっぱい満たした汽車が、ひれ伏した稲穂の中を通ってゆく。
紫苑の花、暴風で吹きち切れた柿の葉の間から、実が眼立って顕れてくる。つらなる山脈のうす水色の美しさ。
「農業の労働はたいへんな労働だが、始終やっているものには、そう特にむずかしいものではないのう。そんでも、やったことのないものには、これは、とても出来ることではないね。」と久左衛門がいう。
一冊の本さえ満足にある家は少ない。読みたいと思うよりも、そんな興味を感じる閑はないのだ。そのくせ細かい話も、話し方ではよく通じる。私はあるとき、これで村に一台新しい農具の機械が必要だという場合、どんなことに使う機械が一番必要かと訊ねたことがあるが、すると六十八にもなるこの無学な久左衛門は、
「それは検討せねばならぬことだのう。」
と、言って暫く考え込んだ。検討という言葉は、辞苑を引いても書いてない新しい言葉だ。またこの老農は、社会上の出来事にもなかなか興味をもっていて、あるとき、
「おれは幾ら聞いても分らんことが一つあるが、労農党と社会党ということだ。あれだけは、どこがどう違うのか、さっぱり分らん。」と云ったことがある。私もこの二つの違いを説明するのに骨折れた。
このあたりの農夫は、自分たちを労働者だとは思ってはいない。むしろ、米を製造する製作者で、家主という大将だと思っている。それは小作人でもそうだ。ただ村には共有の山林があって、先祖伝来のこれが財産だが、共同の山林であるから、その所有権を有っている先祖伝来派は利益の別け前に預るが、分家だけは除外されて来ているために、村内の同じ株内でも、母屋と分家との二派の対立が生じている。殊に村外から入って来た別家の久左衛門などは、この限りに非ずである。分家派たちは、村の共同事業のすべてには同じように金を出させられ、山林からの収入の恩恵だけは別というのが、話が分らぬという不平がある。実行組合長は、この点に対しても、別家派の久左衛門と対立し、先祖伝来派の旗頭で、随って本家の参右衛門と共通の権威を主張して譲らない。久左衛門が、田畑や山林で頭を抑えて来るこの強敵に対して、力を養うためには、も早や金銭という現金の所有でたち対う以外に法もない。そこを清江のように、久左衛門の商才を攻撃するのは、やはり伝来派の嫉妬と見ても良いわけで、ここにも、新興勢力の擡頭を抑える無言の蔑視が、労農という神聖な姿を通してさえ流れている。
一つの大事件がある。この村にとってのことだが、そうとばかりはいえないことだ。この村の釈迦堂に戒壇院という一室がある。これは近年建ったこの寺の別室で、檀家七十家の位牌ばかり並べる室だ。建築費は当然村から出したが、費用は一様ではない。そのため、各家の木牌を安置する場所を定めるのに、先祖の古い順序に随うというわけにはいかなくなった。意見は、各家の出費の額に応じて順位を定めねば落ちつかなくなり、入札式を採用して、各自の献納額を紙に書かせ、他人には分らぬよう厳封のまま納めることにした。村にとっては非常な大事件だ。先祖の位置が金銭で決定されることであるから、ひそかに、出すべき基底の額を相談し合う寄りあいが、あちこちで行われた。このときも久左衛門は、後のもつれを明察して、誰より真先きに、一人勝手に百円を納めた。村の一同は、まだごてごてと一円から十円の間を、上ったり下ったりしているときである。いずれにしても、久左衛門には先祖がなく、自分が新しい先祖になる場合だ。どこの先祖をも追い越して、新興の意気を見せねば、生きて来た自分の努力の甲斐がない。
蓋を開けた結果は、久左衛門が断然一等になっていた。生きながら彼はいま戒壇院を睥睨《へいげい》しているわけである。ここのこの木牌室ほど県下で立派なものはないということだが、私も一度見た。金色|燦爛《さんらん》たる部屋である。
私のいる家の参右衛門は、本来ならば戒壇院の最高段に位置する家柄である。しかし、彼一代に酒癖のため貧農になり下った結果は、まんまと別家の久左衛門に位置をとって替られ、危く死者の位置まで落しかけたが、村の一同の納金五円が普通のところを、彼は十円出すと云い張り、ようやく中壇で踏みとまらせた。
「いや早や、あのときは大騒動だったのう。」
と参右衛門が私に云ったりした。
農家がせっせと汗水たらして働き通す生涯の労働の大部分は、戒壇院の位牌の位置を現在のまま維持するためか、もしくは、自分の代に前より一段とも上にあげたいがためといって良い。仏の前で、先祖の位置を辱しめるということは、この山川の恵みを落すことになるという、伝来の観念は、農家の根柢から脱けるものではない。無限の労働力は、遠く死者から吹きのぼって来ている力で、これを断ち切ると、みな彼らは新しい先祖となり、都会工場の労働者になることだろう。神仏はもう彼らから逃げ、頭を占めていくものは唯物論の体系となって、再び農村の戒壇院へ逆流し、これを破壊していく。単純のことであるだけに複雑な難問、これ以上のことは今の問題中めったにあるまい。
日本の労働力には、周知のごとく仏から動いて来る労働力と、科学から揺れて来るものとの二種類が、歴史と自然の関係のように攻め合っている。フランス革命が祭壇から神を引き摺り落して、代りにデカルトの知性を祭壇に祭りあげたことから端を発したような、何かそれに似たものが、こんな所にも這入っている。工場で働いたものらは、農業に従事することはもう出来ない歎きが、この村のどこの隅にもあって、久左衛門の次男の二十三歳になる優秀工なども、農事を手伝おうと努めているとはいえ、力はあり余っているに拘らず、気息|奄奄《えんえん》と動いている。知性と感性の相対は知識階級の個人の中のみに限ったことではなく、今やわが国の山川の襞の中にもふかく浸み込みつつある状態だ。ここでも、デカルトとパスカルの抗争したものが、異形のまま、片鱗人知れず音を立てている。
集団労働というものがあって、各学校の生徒の団体が、田植、稲刈に農家の田畠の中へ這入っていく。たしかに、このため農家の労働力は援助されてはいるが、これは農村機械化の初めである。もし誰か、ふと頭を上げて考えれば、もう戒壇院に火の燃え移っていることを見るだろう。しかし、それぞれ人間は年をとっていく。誰も若さをそのまま持ちつづけていることは出来ない。とすれば、米を喰いつづけて生きた標印《しるし》を、木牌一つに残したく思う祈願は人人から消えぬだろう。人に生きた標印をただ一つ許すことぐらいの寛大さは、いかなる非情な主知主義者といえども持ち合せているにちがいないその感情――感情をパスカルは神の恩寵物だという。そして、知性よりもこれを上段に置くのであってみれば、人に死のある限りはこの感情も消え失せまい。生ある限り知は消えぬごとくにだ。しかし、これらはすべて自分の緊急な問題に還って来るところ、農村の問題であるよりも個性の中の設問だろう。
私は毎日、農村研究をしているのだが、実は、私の目的はやはり人間研究をしているのだ。毎日毎日よく働く農夫に混り、働いても見ずして、農民研究は不可能である。私が働かないという弱点をもって眺め暮していることは、しかし、一つの大きな良い結果を私に齎《もたら》している。それは私はこのため農民を尊敬しているということだ。この尊敬を自分から失わない工夫をするには、先ず彼らと共に働かない方が良い。正当な批判というものはあり得ないというある種の公理が、公理らしくもある以上、これもそれ故に間違っているかもしれないが、一応先ずそれはそれとしてみても、比較的正しさに近づく方法としてでも、傍観の徳ということは有り得るのである。何も傍観することを徳として、自分の味方たらしめようとするわけではない。しかし、人の労働する真ん中で、一人遊んでいる心というものは、誰からも攻撃せられるにちがいない立場であるだけに、少しでも味方を得たいものである。いったい、誰を味方に引き入れれば良いのであろうと考えると、やはり自分よりないものだ。そこで私は自分を私の味方とする。私はこれがいつでも嫌いなのだが、嫌いな奴まで手馴《てな》ずける工夫だって、これで容易ならざる努力がいるのである。傍観の苦しさには、働いているものには分ろう筈がない徳義心がここに必要で、私の愉しみはここから何か少しずつ芽の出てくるのを感じ、それの伸びるのを育て眺める愉しみだ。それにしても、眼に見える現象界のことなど、米を喰いあったり、引っ張ったりすることなどには、もう幾らか私も退屈した。これを疎かにする次第ではないが、ときどきうんざりするのは、これはどうした性癖の理由だろう。
九月――日
見ていると、農村は何もかもが習慣で動いている。考えることも、働くことも、人の悪口をいうことも。何か一つは習慣ならざることはないものかと見ているが、いまだに一つも私は発見することが出来ない。ただ一つ、米の値が十円に騰って来たこと、これには誰も驚愕置くところを知らずという表情だ。二十銭だったものが十円になったということは、も早や想像を絶したことなのだ。しかし、これも、やがて習慣になるだろう。これが習慣になれば、他の一切の現象界の習慣は顛覆《てんぷく》していく。あるいは、農民の心の中の習慣は、これで何もかも顛覆しているのかもしれない。物の値段が百五十倍も騰って来ていて、心の値段がむかしの二十銭で踏みとまっていられるという強さは、人には赦されているかどうか。何ぜかというと、人にはそんな習慣がないからだ。
まことに考えるということは面白い。毎日毎日しているに拘らず、一つ習慣を破った出来事に突きあ
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