悩まされている最中だ。
 私は道元禅書の中からノートヘ「夏臘《げろう》」という二字を書き写した。叢林に夏安居して修業したる年数をいう、と末尾に註釈がある。他に、
 奇拝――(弟子の三拝九拝に対して師の一拝の挨拶)有漏《うろう》――(煩悩のこと)器界――(世界のこと)秋方――(西の方)
 私は以上の五つを書き抜いてみて、次の随筆集の題を選びたく、思い迷っているとそこへまた久左衛門が現れた。私は本を伏せまた二人で庭の竹林に対《むか》い、しばらく黙って竹の節を眺めていた。「夏臘」という字と、「有漏」という字が、節の間を往ったり来たりする。そのうち、だんだん、「有漏」の方が面白く押して来たので、ひそかに舌の端に乗せてみながら、私は久左衛門の顔を見た。
「和尚さんのことで、一寸。」と久左衛門がいう。
 今日は菅井和尚の使いで来たのだ。この久左衛門は前から、和尚の寺の釈迦堂へ遠近から来る参拝人に、本堂の横の小舎で汁と笹巻ちまきを売っていた。それが資本となり彼が財を成した原因である。それ故和尚にだけは久左衛門も頭が上らない。その和尚が私の所へ、おはぎを携げて遊びに見えてからは、久左衛門も幾らか私への待遇が変って来て、今までは崩した膝を両手で組んでいたのも、このごろは、揃えた膝の上へ両手を乗せるまでになって来た。これは釈迦堂のお蔭である。そういえば、この菅井和尚の寺の釈迦堂からは、私たち一家は思わぬ手びきを受けている。私の妻がまだ一度も行ったことのないこの村の釈迦堂へ、実家のある街から汽車に乗り、参拝に来て、久左衛門の小舎の笹巻を買ったついでに、このあたりに部屋を貸す農家はないものかとふと訊ねたのが、私にこの六畳を与えられた初めだ。私は今も山を廻った所にある釈迦堂の上を通る度に、「よく見よこの村を」と、そっと囁《ささや》かれているように思うのだが、一つはそのためもあって、早く東京へ戻ろうという気持ちは起って来ない。
「和尚さんはのう、あなたの家をこの村へ建てようじゃないかと、おれに云わしゃるのじゃがのう。どっか気に入った場所を探して、そういうて下され。そうしたら、村のものらでそこへ建てますでのう。」
 甚だ話が突然なので私は答えに窮した。しかし、それだけでもう充分結構なことだ、深謝して辞退したきこと、久左衛門にいう。しかし、この村には眺望絶佳の場所が一つある。そこが眼から放れない。その一点、不思議な光を放っている一点の場所が、前から私を牽きつけている。
 それは私の部屋から背後の山へ登ること十分、鞍乗りと呼ぶ場所だ。そこは丁度馬の背に跨《また》がった感じの眺望で、右手に平野を越して出羽三山、羽黒、湯殿、月山が笠形に連なり、前方に鳥海山が聳えている。そして左手の真下にある海が、ふかく喰い入った峡谷に見える三角形の楔姿で、両翼に張った草原から成る断崖の間から覗いている。この海のこちらを覗いた表情が特に私の心を牽くのだが、――千二百年ほどの前、大きな仏像の首がただ一つ、うきうきと漂い流れ、この覗いた海岸へ着いた。それに高さ一丈ほどの釈迦仏として体をつけたのが始まりとなり、以来この西目の村の釈迦堂に納ったのみならず、汽車で遠近から参拝の絶えぬ仏となった。どこかビルマ系の風貌だが、この仏を信仰するものは米に困らぬという伝説があって、平和なときには毎日堂いっぱいの参拝人だとのことである。米作りの名人久左衛門の小舎の笹巻の味もこの仏像の余光を受けて繁昌した。それもこれも、すべてはこの海の表情の中に包み秘められている絶景だ。羽前水沢駅で降りて半里、私はここの鞍乗りの一箇所へ、炉のある部屋をひとつ自費で建てたくもなって来た。

 九月――日
 妻に部屋を建てる話をすると、私よりも乗り気である。しかし、ここでは、大工の賃金を米で支払わねばならぬとのことだ。それならも早や部屋も半ば断念した。野菜もこの村は自家の用を足すだけより作っていない。米作専門の農家ばかりで野菜を買うにはひと苦労である。魚は山越しの海から売りに来るが、米欲しさの漁夫たちの事故、先ず農家へ米と交換で売り、残りを私たちに持って来る。
 ある朝、私が縁側で蚤を取っていると、裏からいきなり這入って来た農婦が、何やら意味の通じぬことを私に喋ったことがある。妻に翻訳させると、子供を白土工場へ入社させたいので、その履歴書を私に書いてくれという意味だった。その場で書いてやった返礼に、米一升をどさりと縁側に抛《ほう》り出して農婦は帰っていったが、私の文筆が生活の資に役立ったのはこれが初めてだ。朝早く隣りから天作を誘う少年は私の書いた履歴書の主である。その声が寝床へ聞えると私も起きるようになった。またそこから野菜も頒けて貰えるようになったりした。米も無くなれば一升や二升はただでやるという。この農婦のことを宗左衛門のあばというが、金を出すから米を売って貰いたいと妻が頼むと、手を横に振り振り、
「金は要らん要らん。米はやるやる。」
 と、あばは云う。話のあまり良すぎることは、こちらもそれに乗るわけにもいかないだけ、この福運はこれで断ち消えになったも同様である。
「困ったわね。ああ云われちゃ、お米も買えないわ。」と妻は歎いた。
 しかし、人の懐勘定をするように先ずあそこには米があるのだと、ちらりと覗いたことになって、ますます私は自分の文筆の力を妻に誇って笑った。
「でも、履歴書ならあたしだって書けるわ。」と妻は無念そうだ。
「しかし、何んだかあの男は字が書けそうな人だと、僕のことを睨《にら》んだのだよ。あのあばは。睨ませたのはこの僕だ。これで小説を書くなんてことを知られちゃ、もう米も貰えないがね。」
「そうしたら、どうすればいいでしょう。お金も銀行から、いつ来るか分らないし、着物だって無くなって来たし、あたし困ったわ。」
「金が無くなれば川端に電報を打ってやる。まだあるだろう。」
 妻はほッとしたようだ。

 この村に困ったことが起っている。去年、米の供出の場合、村割当量が個人割当に変ったとき、供出せられるだけすべし、すれば一日四合分配給すると命ぜられたことがある。皆そのつもりになって、どこの村より真先にある限り完納した。ところが、四合どころか全然配給なしになった。結果は米を作らせられただけで自身たち食う米がなくなり、そのため村全体でない家を救いあうという始末だ、そして、今はその余力の続き得る限界まで来かかった米不足の声声が、満ちて来ている。ただ望むは秋の新米の生れることばかりで、「勝つために」という標語を掲げて瞞着した供出振りに対し、名誉を得たのは、ただ一人供出係りの実行組合長だけだという実感で、非難をその名誉に向けて放っている。非難の的の組合長は、参右衛門の妻の実家だ。またこの組合長は村で五位の、久左衛門と税金が同額で、何にかにつけ敵に廻って来ていた折の今年になり、ついに久左衛門から抜かれて来た。
「おれは何もかも知っとる。」と久左衛門は私に云った。「あの組合長の兵衛門は、駐在所へおれのことを、密告してのう。寺で笹巻売るというて、おれは駐在所へ呼びつけられた。おれは寺で笹巻売っても良いというから、完納してから売っていたのじゃ。はい、売りました、とおれは云うと、駐在所はのう、おれに同情してくれて、そんなこと今ごろするな、誰が報らせに来たか、お前には分っとるだろう、と云わしゃるから、はい、分っとります、とおれは云うた。はははは――密告したのじゃ。おれは、村のもののしていることを、何もかも知っとるでのう。おれだけが知っとるのじゃ。おれは、村の精米所の台帳を預っておるので、それを別に細かにみんな書き写して持っとる。どこにどれだけ米があるか、ないか、どこが無いような顔して匿しとるか、みんな知っとるのは、おれ一人じゃ、はははは――おれはいつでも黙って、知らぬ顔を通して来ているが、神も仏もあるものじゃ。それでおれは、みんながおれの悪口をいうと、いつか分る、おれが死んだら何もかも分る、そう云うて他は一切云わぬのじゃ。はははは。」
 久左衛門は笑ってからまた後で、
「神も仏もあるものじゃ。」と繰り返した。そして、顔を上げると、「おれは嫌われておるのでのう。おれの悪口ばかりみなは云うが、おれのことを分るときがきっと来る。おれは、何もかも細かに書いて仕舞っとる。」
 この老人の長所は何より自信のあることだ。

 九月――日
 夜の明けない前に、清江の刈って来た真直ぐな萱の束を、小牛と小山羊が喰っている。強烈な匂いを放った刈草の解けた束に朝日が射し込み、獣の口の中へ、鋭くめり入る折れた葉の青さ。云いがたい新鮮さで歯を洗う草の露。――堆肥の上から湯気が立ち、その間から見える穂を垂れた稲の大群の見事さ。家の周囲をめぐっている水音。青柿の葉裏にちらちら揺れる水面の照り返し。台所には、里芋の葉で一ぴきの赤えいが伏せてある。

 霽れたかと思うと海の方から降って来る。蓑《みの》を着て庭掃除をしている農婦。あなごやえいの籠を背負い、栗の木のある峠を降りてくる漁婦の姿。これらが雨の中で、米と交換の売買をしている魚籠を、一人二人と集り覗く農婦の輪。もうどこも米がなくなって来ているので、がっかりした漁婦は私たちの縁側へ廻って来て、最後に魚籠をひろげた。
「銭でもええわのう。糸があれば、なおええが。」と悲しそうな声で漁婦はいう。
 私たちは、あなごや赤えいを買い入れ、それを持って汽車で鶴岡の街まで出て、そこの親戚から交換で青物を貰って来るのだ。ここでは村と街とが反対の土産物だが、それほど金銭では野菜の入手が困難だ。米は勿論、味噌も醤油も金銭では買えない。それにも拘らず、ほそぼそながら一家四人が野菜を喰べていられるというのは、不意に近所から貰ったり、清江が知っていて、そっと私たちにくれるからである。妻は毎日あちらに礼をいい、こちらに礼をのべ、ひそかに私が聞いていると、一日中礼ばかり云っている。あんなに礼ばかり云っていては、心の在りかが無くなって、却って自分を苦しめることになるだろう。実際、物乞いのようにただ乞わないだけのことで、事実は貰った物で食っている生活である。人の親切は有難いが、これが続けばそれを予想し、心は腐ってくるものだ。
「ほんとにお金で買えれば、どんなに良いかしら。あたし、お礼をいうのにもう疲れたわ。」と、ある日も妻は私に歎息した。
 物をくれるのに別に人情を押しつけて来るのではない。ただ自然な美しさでくれるのだが、それなればこそ一層私たちは困るのだ。一度頭を昂然とあげて歩きたい。
「困るようなことはさせんでのう。」
 と、このように呟いた久左衛門の言は、今やまったく反対の意味で嘘になって来たわけだ。思いが現実から放れる喜びというものは、たしかに人にはあるものだ。恩を忘れる喜びを人に与えたものこそ、真に恩を与えたものの美しさだろう。間もなく私は東京へ戻り、忘恩の徒となり、そしてますます彼らに感謝することだろう。

 農家のものの働きを知るためには、ある特定の人物を定め、これにもっぱら視線を集中して見る方が良いように思う。私は清江の行動に気をつけているのだが、この婦人は一日中、休む暇もなく動いている。今は収穫前の農閑期だのに、清江はもう冬の準備の漬物に手をかけたり、醤油を作る用意の大豆を大鍋で煎《い》ったり、そうかと思うと草刈り、畠に肥料をやり、広い家中の拭き掃除をし、食事の用意、一家のものの溜った洗濯物、それに夜は遅くまで修繕物だ。自分の髪を梳《す》くのは夜中の三時半ごろで、それを終ると、竈《かまど》に焚きつけ、朝食の仕度、見ていると眠る暇は三時間か多くて四時間である。驚くべき労働だ。
「少し遊びなさいよ。」
 と私は冗談を云って茶を出すことがあるが、茶は嫌いだと清江はいう。農家のものの働きに今さら感心することが、おかしいことだと人はいう。定ったことだからだ。しかし、定ったことに感心し直さないようなら定ったことは腐る。よく働くことを当然だと思う心が非常な残酷心だと思い直さねば、生というものは感じることは出来ない。都会が農村から復
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