わ。いいこと。ほら。」
 久しぶりに美に接した慶びでためつすがめつしているが、私は火鉢の炭火の消える方が気にかかった。昨夜文化部からお礼に届けてくれた酒一升も、もう酒を飲まなくなっている私には興少く、誰かこの酒と煙草とを交換してくれる客はないものかと、番頭に訊ね廻らせてみたが駄目だった。ここでは酒よりも煙草の方が少いと見える。午後から冷えて来て寒い。

 十一月――日
 朝の十一時のバスで帰ることにした。妻はまだ宿の湯呑茶碗と別れることを惜しがって、立ちかねているのが、おかしくあわれだ。
「こっそり一つ譲ってくれないものかしら、東京にだって、こんなのないわ。」
 掌の上へ載せてみては、買えるものなら幾ら高価でもいいと呟いている。
「譲ってくれないなら、一つだけこっそり貰って帰ろうかしら。」
「おいおい、盗るなよ。」
「まさか。」
 ふざけて、そんなことを云ってみたりまでしているが、私にはそれほど魅力もない茶碗だ。妻はやっと部屋の隅へ五つ揃えて茶碗を片づけてから、
「さア、行きましょう。」と云って立った。
 バスの待っている方へ歩きながら、私は、まだそれほど一つの茶器に執心する感動を失ってはいない妻から、ある新鮮な興味を覚えて、妻とは別の感動に揺られていた。私はまだ長い疎開生活中それほど執心したものは一つもなく、僅に村里の人人の心だけ持ち去りたい自分だと思った。しかし、これで私は、今まで会って来た多くの人人の心をどれほど身に持ち廻っているかしれないと思った。自分という一個の人間は、あるいは、そういうものかもしれないのである。自分というものは一つもなく、人の心ばかりを持ち溜めて歩いている一個の袋かもしれない。私の死ぬときは、そういう意味では人人の心も死ぬときだと、そんなことを思ったりしてバスに揺られていた。このバスはひどく揺れた。一番奥まった座席にいるので押し詰った人の塊りで外が見えず、身をひねってちらりと見ると、外では、高い断崖の真下で、浪の打ちよせている白い皺に日が耀いていた。屈曲し、弾みがあり、転転としていく自分らのバスは、相当に危険な崖の上を風に吹かれて蹌踉《よろ》めいているらしい。
 水沢で降りたのが二時である。小川の流れている泥路に立って、そこで四人が握り弁当を食べることにした。指の股につく飯粒を舐めて、一家をひき連れた漂泊の一生をつづけているような、行く手の長い泥路を思うと、ここで荷を軽くして置く必要があったからだった。
 どの田の稲も刈られている。見渡す平野の真正面、一里の向うに私たちの今いる姿の良い山が見える。そこまで一文字の泥路を歩くのだが、三日も見ないとやはりもう懐しくなっている荒倉山である。位のある良い山の姿だと思った。

 十一月――日
 朝起きて炉の前に坐った。ふといつも眼のいく山の上に一本あった楢《なら》の樹が截られてない。百円で売れたのだという。もう渡り鳥の留るのも見られなくなることだろう。

 夕暮から薄雪が降って来る。洗いあげた大根の輪に包まれた清江がまだ水の傍に跼んでいる。どの家も大根の白さの中に立った壮観で、冬はいよいよこの山里に来始めたようだ。背をよせる柱の冷たさ。二股大根の岐れ目に泌みこむ夕暮どきの裾寒さ。

 十一月――日
 見知らぬ十八九の青年が来たので、留守をしている私が出た。身だしなみの良い、眼が丸く活き活きした青年だ。私は用を察し奥から借用の洋傘を持って来てみた。
「これでしょう、家のものがお借りしたの。どうも、どうも。」
 先日、駅から雨の中を傘なしで妻と子供が帰って来たとき、後から来た見たこともない青年が、絹張りの上等の洋傘を渡した。そして、さして行けといってきかないので借りて来たが、名をいくら訊ねても隣村のものだというだけで云わない。傘は自分の方から取りに行くといって私たちの住所だけ訊ねたということだった。今どき知らぬ他人に名も告げず、上等の洋傘など貸せるものではない。この青年の眼には、そんな危険を逡巡することなくする立派な緊張があって、美しく澄んでいる。私から傘を突き出された青年は、「そうです。」と云っただけで、名を訊ねても答える様子もなく、ようやく、「松浦正吉です。」と低い声で云うと、礼など受けつけず、すぐ姿が見えなくなった。文明を支えている青年というべきだ。間もなく東京へ帰ろうとしている私には何よりの土産である。私がもしこの青年に会わなかったなら、東北に来ていて、まだ東北の青年らしい青年の一人にも会わなかったことになる。健康な精神で、一人突き立つ青年があれば、百人の堕落に休息を与えることが出来るものだ。

 夜から雪が積った。

 十一月――日
 鳥海山も月山も真白である。東北に雪の降るのを見るのは私にはこれが初めてだ。もう長靴がなくては生活が出来ない。午後、菅井和尚が見え、釈迦堂で農会の人たちと座談会をしたいから出席せよとの事だ。私は承諾してから松浦正吉君について和尚に訊ねた。正吉青年は横浜の工場から帰国後、村の因循姑息な風習を見て慨歎し、何とか青年の力で村を溌剌たらしめたいと念じている一人だとの事だが、どこから手をつけて良いのか企画の端緒が見つからない。和尚も青年たちの情熱には大いに賛成らしく、このままあの青年たちを腐らせたくはないという。
 和尚の帰ったあとで、参右衛門は、青年たちの新しい意気についてこういう。
「あんな、十九や二十のあんちゃんら、何にやったて、駄目なもんだ。ふん。」
 これは五十歳前後の年齢線のいうことだが、村では、五十歳の壮年でも実権は彼らにはなく、先ず六十歳から七十歳の老人連で、それも村一番の地主の弥兵衛の家の、八十になる長老一人にあるらしい。
「あの人がうんと云わねば、何一つ出来やしない。他のものらは、一升でも二升でも、ただ余けいに取ろうと思うてるだけなもんだ。その他のことは、何にも分りやせん。」
 落葉の降り溜るように、それはそのようになってきたものがあったからだろう。その他のことを要求するには、正吉青年のようにするだけのことをしていこうとしなければならぬ。私の妻に洋傘を貸したのもその発心の顕れであろうが、たしかに日常時のこのような些細なことから初めて落葉は燃え、土壌は肥料を増していくのだ。

 長老のこの弥兵衛の家の中は混乱している。妻女は後妻だが、私のところへこの婦人は魚を売りに来ることがある。前には由良の利枝と同村で料亭の酌婦をしていたのを、長老の漁色の網にひき上げられて坐ってみたものの、一家の経済の実権は六十過ぎの先妻の息子にあるから、こうして由良から魚を取りよせひそかに売り貯えているらしい。一見しても、格式ある立派な老杉が周囲をめぐっていて、神宮のような建物の長老らしい家である。そこから隠れて魚を売りに出て来る後妻の、でっぷりと肥えた皮膚の下に、むかしの生活の澱《よど》んだ憂鬱な下半白の眼は、幸福ではなさそうだ。長老はまた後妻の代りのも一人立てている風評も、杉木立の隙から私らの耳にもれて来ている。参右衛門の末の娘はこの家に奉公しているが、前には、弥兵衛と同格の名門であった彼のこの没落には、人の同情を誘ういたましいものはない。むしろ、人を失笑せしめる明朗なものがあって、そこが参右衛門の味ある人柄というべきところだろう。
「何んという阿呆かのう参右衛門は。遊んでばかりいて、飲んだくれて、家をこんなに潰してしもて。」
 叔母にあたる久左衛門の妻女のお弓がこういうのも、言葉の裏の対象には、いつも弥兵衛の家が隠れている。祭日には参右衛門の末の娘はここから自分の家へ帰って来る。そして、餅など食べているのを私はよく見るが、今夜は家で泊って行きたいと娘が云うときも、
「お前は奉公してるんだからのう。やっぱり、大屋さんへ帰って寝るもんだ。良いか、今夜は帰れよ。」
 と、参右衛門はこう静に娘をさとしている。娘は泣き顔で戻って行くが、負けん気の参右衛門も、このようなときは、さすがに声は低く娘に詫びを云うように悄気ている。殊に、後三四日もすれば、別家の久左衛門の十九のせつ女の結婚式が迫っているからには、十七の自分の娘の身の上も、そろそろ考えてやらねばなるまい。私は出来る限り、同じ金銭を落すものなら、ここの家へ落して帰りたいと思っているのだが、
「おれは金はいらん、あんなものは――」
 と、久左衛門への対抗か、むかしの旦那風の名残りは、手出しの仕様もない。実際、金を少しは欲しがってくれる人間もいてくれねば、不便なことが多くて困るものだ。私たちはこの参右衛門の家にいて、まだここから一升の米さえ買っていない。無論、貰ったこともない。

 十一月――日
 突然のことだが、意外なことが起って来た。東京から農具を買い集めに来た見知らぬ一人の男が、参右衛門の所へ薪買いに来て、東京へ貨車を買切りで帰るのだが、荷の噸《トン》数が不足して貨車が出ない。誰か帰る者の荷物を貸す世話をして貰いたいというのだ。そこで私たちにその荷の相談があった。その客というのは、私も知らないばかりか参右衛門も知らない。まったく知らないその男の荷として、私の荷物を送る冒険譚になって来たのだ。しかし、このような雪ぶかい中から私らが動き出すためには、こんな唐突なことでもない限り容易に腰は上りそうもない。先ずその客という人間にひと眼あい、私は人相で決めたいのだが、荷を積み込む日は後三日の中だという。

 しかし、私にはまた妙な癖があって、人の運命というものは人から動いて来るものだと思えないところがいつもあるのだ。もう、そろそろ帰らねばならぬときだと思っているときに、まったく偶然こんな好都合な話が持ち上って来たということは、人よりもその機縁の方を信じる癖で、私はもう客の人相よりそれ以前の事の起りの方に重きを置いて考えている。これは、ひょっとすると荷を動かしてしまいそうだという気がする。何ものにも捉われぬ判断力というものは有り得るものかどうか。私は自分の癖に捉われている。これは生理作用だ。
「その薪買いの客という男を、お前は見たのか。」と私は妻に訊ねた。
「一寸見ましたわ。」
「信用は出来そうか。」
「そうね。悪い人ではなさそうでしたね。でも、何んだか、そわそわばかりしていて、ちっとも落ちつきがないんですのよ。何んだってあんなに、そわそわばかりしてるんでしょうかしら。それが分らないんですの。」
「じゃ、人は善さそうなんだね。」
「ええ。そんな変なことしそうな人じゃありませんでしたわ。」
 よし、会おう。明日もう一度来るという。そろそろ荷物の整理をし始めるよう私は妻に頼んだ。このような渡りに船のことを、むかしは仏が来たと人人は思ったものだが、そう思えば、明日この人に会うのが私には楽しみだ。私もこの地のようにだんだん鎌倉時代に戻っているのであろう。

 十一月――日
 十時に例の客が蓑を着て来た。私のこの仏は、三十過ぎのビリケン頭をした、眼の細く吊り上っている、気の弱そうな正直くさい童顔の男であった。大きな軍靴を穿いているところを見ると復員らしい。円顔で、おとなしい口もとが少し出ていて、疑いを抱かぬまめまめしい身動きは、なるほど、こんな仏像は奈良や京都の寺でよく私は見たことがある。炉に対いあっている間も、私に見詰められるのが辛そうな様子で、絶えず横を向いて話している。
「これから東京への土産に荷車を買いに行くんですよ。それから羽黒へ行って、帰ってから大山へ廻って――何が何んだかもう分らない、急がしくって――」
 こういうことを云うときも、そわそわし、ひょこひょこしつづけている。客の今日一日に歩き廻る円囲を頭に泛べてみても十五里ほどの円だ。私はこの人を仏だと思ってみていることが、何んだか非常に面白くなって来たようだ。
「一日で出来るのですか、そんなこと。」と私は訊ねた。
「この間まで兵隊へ行ってたものだから、まア、こんなことはね。東京へ帰って百姓をしなくちゃならんものだから、農具を買い集めているんですよ。なかなか無くってね、それに有っても高いことをいう。」
 とにかく、生れはこの近村で自分は
前へ 次へ
全23ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング