く様子もない。どちらも初めて見合いしてから日数もたたず、まだ結婚の決定さえ見ぬ今のうちから泊り込んでいる。一種不思議な縁談の進行だ。
「おせっちゃんは、この村一番の美人だと云うことですよ。」
 と妻はあるとき私に云った。この末娘のせつは、由良の利枝の末の子と結婚する筈だったのに、それが沖縄戦で戦死して、これも日のたたぬ躊躇の折、責任を感じた利枝は自らすすんでこの新庄の婿との間を取りもった。せつは十九、ものに動じぬませた美しさのある娘で、父親に似ていてどこか冷たいリアリストの眼で、唇が赭く柔順だ。
「あの久左衛門の家は、いまに罰があたるのう。」
 とは、村のものの云うことだが、理由は寺で参詣人に物を売って儲けたからだそうである。

 十一月――日
 今日は豪雨になった。橋は腹まで水に浸り、田も水底に見えず道路だけ、橋のように長く水上に浮いている。色を増した紅葉の間から、鮮やかな曲りで瑠璃色のあけびの実が垂れ、小豆の粒の艶麗な光沢と、毛ばだった牛蒡《ごぼう》の種とが板の間に並ぶ。口を開いた無花果《いちじく》畑の方向から山鳩の湿った声が、ホッホー、ホッホーとする。

 十一月――日
 茗荷《みょうが》のうす紅い芽に日が射している。雨は過ぎたらしい。

 久左衛門の家へ由良から利枝が出て来た。せつの結婚の日が定ったからであるが、新しい婿を自分が取りもったとはいえ、戦死の子と結ばるべき縁だったせつ子であれば、浮き足だった喜びに満ちている久左衛門の家には居づらいらしく、暇を見ては生家の参右衛門の炉端へ来て、愚痴をこぼしている。ところが、嫁入道具を見せる習慣があると見えて、私の妻も久左衛門の家から呼ばれて行くと、今度は、せつの姉が参右衛門の炉端へそっと脱け出て来て、これが自分の嫁入の際の無一物だった貧しさをこぼし、妹の豪華さを羨望して泣いている。
「なかなかお調度立派でしたよ。だけど、あちらはにこにこだし、こちらはめそめそだし、今日はあたしまで急がしいこと。」
 妻はそう云いながら私のいる部屋へ来てから、突然、
「馬の種つけ係りって、何のことですか。」と訊ねた。
 なるほど、そういう職業は知らないかもしれない。しかし、私は口に出して説明する気は起らなかった。この年になっても妻と話せぬことは、ときどきこれであるものだと思った。妻も私が黙っているので察したらしく、すぐ別のことを云う。
「あそこの家のことだと、どうしてみなが、あんなに悪口を云うんでしょうね。お婿さんになる人もさんざんよ。唇がでれりと下っているだとか、むっつりふくれ返って、言葉一つ云やしないとか、相撲取みたいだとかって。それにまた、大地主だっていうふれ込みだのに、蔵がないんだそうですよ。蔵のない地主ってあるものかどうか、というので、ぼそぼそ皆の人悪口いうんですの。」
「云ったところで、もう遅いだろ。あの久左衛門にぬかりはあるものか。」

 そういえば、これで三日も久左衛門と私は会っていない。午前中は必ずやって来て、彼に午前の時間をつぶされる苦しさから、やっと逃れた好日だのに、どういうものか、この爺さんの顔が見えなくなるとやはり私は淋しくなる。私にとっては、この久左衛門という老人はこの村で唯一の話の通じる人物になっているのだ。いつの間にか、私は私流の話の通じ口を一つだけこの村に掘りあてて、そこから毎日話の水を流し込んでいたようなものだったが、――おそらく、彼が私の時間を邪魔していたのではなく私が彼の時間を奪うようにしていたのかも分らない。
「あなたと話してると、どういうもんか面白うて面白うて――」
 と、そんなにふと久左衛門は呟いたこともある。米のこともいまだ私の方から依頼したことのないのも、一つはあまり毎日二人で話しすぎた結果であろう。私は彼に会うと、何の意もなく自然に話は私の見て来た他県のあれこれに関することになるのだが、私はもうこれで、いつの間にか、全国で行かない県はないまでになっている。自然にその地方の食物ならおよそどこのも見逃さずに食べて来てみた。話につれてその地の景色も眼に泛ぶが、ここの鞍乗りからの平野や海の眺め、米の美味さ、鯛と小鰈《こがれい》の味の好さは、ここならではと思われるものがあっていつも話はそこで停り、久左衛門の自信を強める結果になっているのだ。
「東京へは日露戦争のとき、出征するので一度通ったきりだ。」
 とこういう久左衛門には、私のする東京の話も興味をひくのも尤《もっと》もなことにちがいない。中でも東条英機という人の話は、私と町会が同じだと知ってからは、ひどくこの老人の興味をそそった風である。
「あの人は家を建てたとかで、一時はここでも悪ういわれたもんだがのう。」
「その家が実はおかしいことがあった。」
 と、私もつい云わずも良いことを思い出し話してしまったことがある。私は外国から帰った直後のこと、何とかしてじかに一度土地というものへの愛情を感じて見たくなり、少し自分で持ってみたいと思ったことがあって、義弟のいる玉川附近を二人で歩き廻ったある日のこと、むかしの神社の跡で八幡山という小高い丘の前へ立った。
「いいな、ここは。」と私は云った。
 私はそこを買いたかった。赤松が沢山生えている傾斜地で、手ごろなここの空地は日をよく浴び草も柔かった。
「いいけれども、この赤松で首吊りがあったのですよ。」と義弟は一本の枝ぶりの良い松をさして云った。
 ふと文句なく私は不快になった。
「じゃ、駄目だ。」
 しかし、惜しい傾斜の中ごろのところで、その一本の赤松だけ不相応に延び下った枝で体を傾け、滑かな肌に日をよく浴びて美しかった。それから一二年の後再びその小丘の前に立ってみると、そこだけ縄張りのしてある中に、東条英機建築敷地という立札が建ててあった。いやな所を買ったものだ、僕さえ止めたところだのにと思っていると、間もなくそのあたりは美しく切り開かれ、眼醒めるばかりの広闊な場所に変っていた。
「ところが、どういうものか、結果はこんな風になってしまって、もし僕がそのときあそこを買って置いたら。」
 私が笑うと久左衛門は、「ほう、ほう。」と鳥の啼くような声を出してから、
「首吊りはのう。」と云って黙った。
「二代目はピストルだが、やはり、首のところだ。」
 しかし、久左衛門には話はそこで止めねばならぬ不便もあった。何ぜかというと、彼は人の云うように、寺で物を売って儲けた人だからである。どうでも良いようなものの、それはやはり、どことなく云い難いものがあった。つまりはそこが彼の不幸な部分というべきものだろう。やはり、このような保守的な、限りもない習慣ばかりの村では、悲劇の種類も自ら違って来るのだ。そこがいつも話していてむつかしいところである。

 十一月――日
 稲刈はまだ終ってはいない。悪天の連続でどの田の進行も遅遅としている。私は農家の収穫を見おさめれば東京へ帰ろうと思っているが、雁が空を渡っていく夕暮どきなど、むかしこの出羽に流された人人も恐らくこのような気持ちだったであろうと思われて、東京の空が千里の遠きに見え、帰心しきりに起ることがある。しかし、妻は反対で、このままここで埋もれてもいい、どこへも行きたくないという。
「しかし、いつまでもここにいたって仕方がなかろう。」
「じゃ、あなたはそんなにお帰りになりたいんですか。」
「特に帰りたいというわけでもないが、僕はここの冬は知らないからね。」
 冬のことに話が落ちると妻も黙る。出羽で育った妻の実家の一族も遠い時代は京から来ている模様なので、冬の来るたびに夫婦の間で繰り返されたこんな言葉も、終生つづいたことだろう。また東京の冬は一年のうちでも一番良く、雨も風も少くて光線はうらうらとして柔かい。冬の東京を思うと私はもうたまらなく懐しいが、こんなとき久左衛門はやってくると、一丈もつもるここの吹雪のことを云ってから、
「ここの鱈《たら》は美味い。ここの冬の鱈は格別じゃ。」
 と、ただ一つだけ良いことを云っては、食い物でつい私の決心を鈍らせる。私はまた寒鱈が至って好きだ。それも良いなア、とふと思ったりする。
 こんな気がふと起るとなかなか後が厄介だが、半道の長い駅までの吹雪の中を一番の汽車に間に合せて、それから三駅鶴岡まで通う中学一年の私の子供のことを思えば、私より一層この冬は子供にとっては難事なことだ。
「ここにいるのは、幾らいてもらっても良いでのう。」と、久左衛門は私に云うが、参右衛門はそうすると、
「いられんと思うの。初めてのものには、冬は無理じゃ。」という。

 一つの家に他家族との雑居は、どこまでこちらが他の方を邪魔しているのか程度が分らず、その不分明な心の領域がときどき権利を主張してみて暗影を投げる。影は事の大小に拘らず心中の投影であるから、互いの表情に生じる無理が傷をつけあう。しかし、こういうことはここの農家ではあまり生じない。参右衛門の無作法さや我ままは怠け方同様に傍若無人で立派である。

 十一月――日
 自分はいったいいつまで続く自分だろうか、よくも自分であることに退屈せぬものだ、と私はあきれる。外では、ひと雨ごとに葉を落していく山の木。茂みは隙間をひろげて紅葉を増し山は明るい。部屋に並べてある種子箱で、小豆が臙脂《えんじ》色のなまめかしい光沢を放っている。毛ば立った皮からむき出た牛蒡《ごぼう》の種の表面には、蒔絵に似た模様が巧緻な雲形の線を入れ、蝋燭豆のとろりと白い肌の傍に、隠元《いんげん》が黒黒とした光沢で並んでいる。しかし、これらももう私の憂鬱な眼には、ただ時の経過を静に支えていてくれる河床の石のように見える。
 赤欅の娘が秋雨の降りこむ紅葉の山越え、魚を売りに来る。海の色の乗り越えて来るような迅さで、鰈《かれい》や烏賊《いか》、えい、ほっけを入れた笊籠はどこの家の板の間にも転がり、白菜の見事な葉脈の高く積っているあたりから、刈上げ餅を搗く杵音がぼたん、ぼたん、と聞える。白む大根の冴えた山肌、濡れた樹の幹――

 由良の老婆の利枝は稲刈に出払っている久左衛門の家の食事万端を一人でしており、
「もう由良へ帰らずに、うちの嫁になってくれんかの。」と調法がられている。
 久左衛門家のせつは婿の田舎へ母につれられて二泊して帰って来ても、また婿も一緒である。二人は結婚式も済まさぬのに寝室を一つにしているらしい。のんきな皆の中で、これには利枝だけがいらいらして、参右衛門の炉端へ逃げて来てはこう歎息する。
「おれらの嫁のときは、羞しくて婿と口もきけなかったのに、あの子は何という子だろうのう。ぺちゃくちゃ婿と喋ったり、今ごろから二人で一緒に散歩したり、部屋も閉め切って、一日二人が中から出て来やしない。式もあげずに何をしてるものだかのう。」
 戦死した自分の子の幻影が泛ぶのであろうか。老婆は一晩愚痴をこぼしづめだ。そのため参右衛門の妻女はいつまでも眠れないで弱りきり、今度は私の妻に睡眠の不足を訴えるが、新婚の夢の描く波紋はどうやら私の胸まで来てやっと止ったようである。私にはも早やそんなことは無用のようだ。

 十一月――日
 来る日も来る日も同じことを繰り返している農業という労働。しかし、仔細に見ていると少しずつ労働の種類は変化している。もう忘れた日にして置いた働きが芽を伸ばし、日日結果となって直接あらわれて来ているものを採り入れ、次ぎの仕度の準備であったり、仕事にリズムがあって倦怠を感じる暇もない。他に娯楽といっては何もなさそうだが、そんなものは祭だけで充分忍耐の出来ることにちがいない。特に都会化さえしなければ農業自身の働きの中に娯楽性がひそんでいそうである。

 私は東京から一冊の本も、一枚の原稿用紙も持って来ていない。職業上の必需品を携帯しなかったのは、どれほど職業から隔離され得られるものか験しても見たかったのだが、ときどき子供の鞄の中から活字類の紙片が見つかると、水を飲むように私は引き摺り出して読んだりする。中に抽象的な文章があったりすると急に頭は眠けから醒めて、生甲斐を感じて来る。も早や私には観念的
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