「もう駄目かもしれんぞ。云っとくことはないかい。」私は子供の足音が消えると訊《たず》ねた。
「あるわ。」
「云いなさい。」
「でも、もう云わない。」
 爆発する音響がだんだん身近く迫って来る様子の底だった。
「それなら、よしッ。」
 と、私は照明弾の明るさで、最後の妻の顔をひと眼見て置こうと思い、次ぎの爆発するのを待って起き上った。
「お母さん。」また声がする。
「出て来ちゃ、いかん。大丈夫だよ。」
 私は大きな声で云いながらも、あの壕の中の二人さえ助かれば、後は、――と思った。すると、また一弾、ガラスが皺《しわ》を立てて揺れ動く音がした。
「後はどうにかなるさ。」
「そうね。」
 水腫《みずば》れのように熱し、ふくれて見える妻のそういう貌《かお》が、空の耀きでちらッと見えた。心配そうというよりも、どこかへ突き刺さったままさ迷うような視線である。今ごろここで妻がおかしかったと云うのは、そのとき妻の見た私の座蒲団姿のことを云うのだが、私のおかしかったというのは、危険の迫るたびに、のこのこ壕の中から出て来た子供のことである。私はその危険だった夜から四日目の夜、妻と子供を無理矢理に東北へ疎開させ、私一人が残っていた。私の心臓はまだ怪しいときだったが、傍に妻子にいられる心配よりも、一人身の空襲下の起居の方が安らかさを取り戻すに都合は良く、食物の困難なら、庭の野草の緑の見える限りさほどのことではあるまいと思い、居残りを決行したのだ。私はまだ雨戸を開ける力もなかったから、寝床から出て、飯を炊き、煮えて来るとまた匐《は》い込む。ぼんやり坐ったり、寝たり起きたり、そんなことをしている一週間ほどたったとき、折よく強制疎開で立ちのく友人が来てくれた。今度は二人の男の生活が始まった。自分の家もいずれは焼けるにちがいないから、私はせめてその焼けるところを見届けて見たかった。疎開をするならそれから後にしても良い。焼けた後では何の役にも立つまいが、それにしても、長らく自分を守ってくれた家である。つい家情も出て来て動く気もなく、私が飯を炊き、友人は味噌汁と茶碗という番で、互いに上手な方をひき受けて生活をしてみると、これはまたのどかで、朝起きて茶を飲む二人の一時間ほど楽しいときは、またと得られそうもない幸福を感じる時間になった。しかし、そんなことを云っても妻には分ろう筈もない。

「とにかく、自分の家が焼けなかったということは、何より結構じゃないか。あの大きな東京は、もうないのだからね。お前は見ていないから、知らないのだよ。」と私は云った。
「そうね、あたし、知らないんだわ。それだからね。ぶつぶついうの。」
 妻はさしうつ向き、よく考えこむ眼つきである。

 そういえば、この村の人たちも空襲の恐怖や戦火の惨状というものについては、無感動というよりも、全然知らない。このことに関して共通の想いを忍ばせるスタンダアドとなるべき一点がないということは、今は異国人も同様の際だった。たしかに、知らせようにも方法のない村民たちと物をいうにも、も早や、どうでも良いことばかりの心の部分で、話さねばならぬ忍耐が必要だ。この判然と分れた心の距離、胸中はっきり引かれた境界線というものは、こちらには分っているだけで、向うには分らない。人情、非人情というような、人間的なものではなく、ふかい谷間のような、不通線だ。農民のみとは限らず、一般人の間にも生じているこの不通線は、焼けたもの、焼け残り、出征者や、居残り組、疎開者や受入れ家族、など幾多の間に生じている無感動さの錯綜、重複、混乱が、ひん曲り、捻じあい、噛みつきあって、喚《わめ》きちらしているのが現在だ。呶鳴ったかと思うと、笑ったり、ぺこぺこお辞儀したかと思うと、ふん反り返り、泣き出したかと思うと、鼻唄で闊歩する。信頼をしあうにも、寸断された心の砕片を手に受けて、これがおのれの心かと思うと、ぱッと捨てる。このようなとき、道念というようなものは、先ず自分自身に立腹すること以外手がかりはないものだ。腹立ちまぎれにうっかり呶鳴ると、他人に怒る。何の関係もないものに。――実際、人の心は今は他人に怒っているのではない。誰も彼もほおけた不通線に怒っているのだ。まったくこれは新しい、生れたばかりのものである。間もなくこれは絶望に変るだろう。次ぎには希望に。

 八月――日
 南瓜《かぼちゃ》の尻から滴り落ちる雨の雫。雨を含んだ孟宗竹のしなやかさ。白瓜のすんなり垂れた肌ざわり。瞬間から瞬間へと濃度を変える峯のオレンヂ色。その上にはっきり顕れた虹の明るさ。乳色に流れる霧の中にほの見える竹林。

 八月――日
 ここへ移ってから一番自分を悩ますものは蚤《のみ》だ。昼間も食事をしている唇へまで跳びこんで来る。大げさにいえば、顔を撫でると、ぼろぼろと指間からこぼれ落ちそうな気配で、眉毛にも跳びかかる。まして夜など眠れたものではない。どたんばたんと、あちらでもこちらでも足音がする。
「これなら、空襲の方がまだましだ。」と先ず、私は悲鳴をあげた。
「ほんとにどうでしょう。いることいること。」
「しかし、これだけ人間を苦しめる奴がいるに拘らず、誰も蚤を問題にしたものがいないというのは、何んということだろう。おれはまだ蚤の評論というのを見たことがないね。」
 妻は私の云うことなど聞えない。八方へぴょんぴょん跳ぶ蚤を追っかけて夢中である。これは夜中の光景だが、これから毎夜つづくこの苦痛を考えると、他の重要なことなどすべて空しく飛び散るから不思議だ。そこがまた、おかしいのかもしれぬ。しかし、これほど苦痛なことが、おかしいとは、またどうしたことだろう。この蚤に悩まされている最中の自分と妻は、厳粛この上もない苦痛の極点で、歎声さえ発しているに拘らず、おかしいとは、何たる不真面目な客観性が自分たちの中にあるのだろう。笑いの哲学とは、流石《さすが》に軽妙|洒脱《しゃだつ》なべルグソンの着想だ。こうでなくては哲学は意味をなさぬ。ここを忘れて人間性を云云《うんぬん》したところで、――しかし、おかしい。

 八月――日
 翌朝、私は参右衛門と対い合って炉に坐った。そして、その巨きな平然とした体躯を眺めた。いったい、この人物は、蚤について一言も発せぬが、果して何の痛痒《つうよう》も感じないのだろうか。もしそれなら、この人物は自分たちには不思議な存在だと思った。雲集して来る蚤の真っただ中へ、どたりと身を横たえて鼾声《かんせい》をあげている肉体。思ってみても痛快だが、しかし蚤にも狂わぬ神経で、精神を支えている調法さというものは、――子供のときから幾多の訓練をへたとはいえ、――それなればこそ、私らの苦痛がも早や何の問題でもない地点にいられる軍隊のような健康さに、私らはいったい何をいうべきか。たしかに、誰もは私らの方を不健康というだろう。しかし、果してそこに間違いはないか。その健康そうに見える陰から覗いた衰弱の徴候に。――これは蚤だけに関したことではない。人人のおそれ戦《おの》のく対象物の相違が、こんなに違ったまま世の中が廻っていて、――プロペラの廻転を停めるように、私は一度、ぴたりと停った世の中というものを見てみたい。これだけはまだ誰一人も見たことのないものだが。

 私は農村というものを映す高速度の映写機を、一度ためしに使ってみたい。完全な廻転に用する歯車は完全な円形では駄目だという法則がある。高速度映写機もその学理を応用している。AはBと相等しく、BはCと相等しい場合に、AはCと相等し、という数学上の定理が、今はそうではなく、AとCとは等しからず、という、新しい数法が生じて来たそうだ。これを半順序概念というそうだが、他の何事よりもこれは大革命の端緒となるもの――としても、それはさて置き等しきものは何もないというこの美しさ。おそらくどこの農村も、農村の存するところすべてが異っていることだろうが、高速度機もこうなると必要だ。一疋の蚤も、半順序概念のAとして、この農村を計量する何ものか、私の円形ならざる歯車の一つにならば幸いだ。

 八月――日
 夜の明けない前に草刈りに出ていった娘たちが、山から帰って来る。自分の背丈の二倍もある高さの草束を背負う姿は青草の底から顔を出した家畜に似ている。それが二人三人と続いて山路を降りて来ると、小山が揺れ動いて来るようだ。そんなことなど忘れてから、ふとまた視線がそちらへ向くたびに、おや、風かなと思う。よく見ると、また続いて降りて来る娘たちの草の山だ。
「日が射して来てから家を出るのは、もう仕事じゃないのう。」と、久左衛門が云った。
「おれは人の二人前は、いつのときでも働いた。前には村で一番の貧乏だったが、今では先から五番になった。」
「この村の人は、女の方がずっとよく働きますね。」
「ははははは、そういえば、そうかのう。」と、この老人は笑ってから、一寸このとき考え込んだ。
 六十八歳の老人が、今まで一度も、そんなことを考えてみたこともなかったということ。――やはり、人は自分のことを一番に考えて、それから答えるのだ。しかし、私もまた迂闊《うかつ》なことを訊ねたものだ。村で働きがないと云われることは、都会のものが感じるよりも、幾そう倍の侮辱になる、という衝撃については、甚だ残念ながら手落ちはこちらだ。ははははと笑った老人の初めの笑声は、ただの笑いではあるまい。おそらく六十八年の歳月の笑いであろう。
 私はこの久左衛門という特殊な老農に注意を向けた。何ぜかというと、この平野は陸羽百三十二号という米を作る本場であること。この米は一般から日本で最上とされているのに、この平野の中でも、特にこの村の米は平野のものから美味だといわれていること、ところが、久左衛門の家の米は、この村の中でも一番美味であるということなどを考えると、――彼は日本一の米作りの名人ということになりそうだ。まだ誰も、そんなことを云ったのではない。しかし、押しせばめて来てみると、他に適当な論法のない限りは、そう思ってみる方が、私だけには興味がある。たしかに、同じ注意を向けてみるなら、ひそかに私はそう思うことにしてみたい。
「おれは小さいときから算術が好きでのう。」
 と久左衛門は云った。「今の若いもののやることを見ていても、おれよりは下手だのう。おれは算術より他に、頼りになるものは、ないように思うて来たが、やっぱりあれより無いものだ。」
 またこの老人はこうも云った。
「みんな人が働くのは、子供のためだの。おれもそうだった。」
 禿《は》げた頭の鉢は大きく開き、耳の後ろから眼尻にかけて貫通した流弾の疵痕《きずあと》が残っている。二十二のとき日露の役に出征し、旅順でうけた負傷の疵だが、このときの恩給が唯一の資本となり、峠を越した漁村の利枝の家へ、縄と筵《むしろ》を売りに通った極貧の暮しも、以来|鰻《うなぎ》のぼりに上騰した。彼の妻のお弓は利枝の妹で、本家の参右衛門の母の妹にもなる。久左衛門は隣村から養子に来たとはいえ、前から本家とは親戚で遠慮の不要な間柄だ。
「この村は二十八軒あるが、参右衛門の家は一番の大元だ。前には財産も一番だったが、今はその反対だのう。みなあれが飲んだのだ。はははは。」久左衛門はそう云ってから私に声をひそめて、「あんたに一言いうて置かねばならぬことがあるが、一つだけ気をつけておくれんか。あの参右衛門は人の良い男だが、飲んだら駄目だから、そのときはそっと座を脱して隠れて下され。あれはひどい酒乱でのう。おれは殴られた殴られた。もういくら殴られたかしれん。おれはじっと我慢をし通して来たが、あの大男の力持ちに殴られちゃ、敵《かな》うもんじゃない。恐しい力持ちじゃ。」
 参右衛門は四十八だ。巨漢である。いつも炉端に寝そべっていて働かないが、無精鬚《ぶしょうひげ》がのびて来ると、堂堂たる総大将の風貌であたりを不平そうに眺めている。剃刀《かみそり》をあてると、青い剃りあとに酒乱の痕跡の泛び出た美男になる。農夫とは思われぬ伊達《だて》な顎《あご》や口元が、若若しい精気に満ち、およそ
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