を探求して明示することか、という二通の論証方法があるわけだが、しかし、それはともかく、人間は生活せねばならぬという条件の上で、これを開明する必要に迫られるとなると、過去や未来を考えても駄目だ。一応は現在を考えてみるということ、いつも生活の実質は現在にあるのだから、何よりも今を見ることが一番だ。今は、農民と労働者は王侯のごときものである。これに対して頭の上るものはない。すでに現在がかくのごとく民主主義に徹底しているときはまたとなかったが、ただ今は、これに統一を与える精神がないだけだ。みな誰も一番探しているものは、米と精神だのに、これを紊《みだ》しているのは金である。しかし、不思議なことに、米というものは、少し手に入ると、忽ち人はこれを忘れてしまうのが習慣だ。有っても無くてもどうでも良いものの一つの中で、長らく人間にとって一番どうでも良かったものは、米と神とだ。云い換えるなら、物と精神の二つの代表である。この二つを忘れて人間はどうなるか、というところまで来てみて、やっと米だけ、物だけが眼についた。今度は何んだって物さえあれば、追っかけ引っかけするうちに、物はなくなる。次ぎには精神。しかし、
前へ 次へ
全221ページ中85ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング