るぞと私は思った。何が来るのか分らぬながら、とにかく来ると思って、焔を見ながら坐っていた。
生まのままの真は偽せよりも偽せだ。(ヴァレリイ)――この言葉はたしかに高級な真実である。しかし、この高級さに達するためには、どれほど多くの嘘を僕らは云い、また、多くの人の真実らしいその嘘を、真実と思わねばならぬか計り知れぬ。それにしても、ヴァレリイは死んだと聞く。真偽は分らぬが、風の便りだ。嘘だと良いが。
九月――日
暴風で竹林が叫び、杉木立が風穴をほって捻じまがっている。山肌が裏葉をひんめくらせて右に左に揺れ動き、密雲の垂れ込んだ平野の稲は最後の叫びをあげている。頭が重く痛い。牛のもうもう鳴きつづけているのが警笛のようだ。炉の中では、焚火が灰の上を匐い廻って鍋が煮えない。開けた雨戸をまた閉める音。喚《わめ》き狂う風で、雨も吹っち切れて戸にあたらない。
農村だのにどこもかしこも米がなくなっていて、もう死ぬ、もう死ぬと、露骨にそういう声声の聞えているところへこの雨だ。私のいる家の亭主は長男の嫁の家へ米借りに出かけて行く。労働の出来ないこんな悪日を利用して、主婦の清江は味噌取りに駅まで行
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