のある部屋をひとつ自費で建てたくもなって来た。
九月――日
妻に部屋を建てる話をすると、私よりも乗り気である。しかし、ここでは、大工の賃金を米で支払わねばならぬとのことだ。それならも早や部屋も半ば断念した。野菜もこの村は自家の用を足すだけより作っていない。米作専門の農家ばかりで野菜を買うにはひと苦労である。魚は山越しの海から売りに来るが、米欲しさの漁夫たちの事故、先ず農家へ米と交換で売り、残りを私たちに持って来る。
ある朝、私が縁側で蚤を取っていると、裏からいきなり這入って来た農婦が、何やら意味の通じぬことを私に喋ったことがある。妻に翻訳させると、子供を白土工場へ入社させたいので、その履歴書を私に書いてくれという意味だった。その場で書いてやった返礼に、米一升をどさりと縁側に抛《ほう》り出して農婦は帰っていったが、私の文筆が生活の資に役立ったのはこれが初めてだ。朝早く隣りから天作を誘う少年は私の書いた履歴書の主である。その声が寝床へ聞えると私も起きるようになった。またそこから野菜も頒けて貰えるようになったりした。米も無くなれば一升や二升はただでやるという。この農婦のことを宗左衛門
前へ
次へ
全221ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング