み出した夏菜類の瑞瑞しい葉脈――雨が霽れたり降ったりしている。

 寺の和尚、菅井胡堂氏がおはぎを持って来てくれた。私の部屋――この参右衛門の奥の一室は和尚が少童のころまだこの家の豪勢なときに誦経に来て以来五十年ぶりらしく、庭を眺め、「ほほう。」という。
 すると、突然、泉水の上に突き出た竿の先に、眼の高さでただ一つぶら下った剽軽《ひょうきん》な南瓜を見て、
「はッはッははッ。」と哄笑した。
 胡堂氏の話によると、村には二つとない、見事だったこの庭の良石と植木は、隣村の何兵衛に瞞《だま》され尽《ことごと》く持ち去られたとのことである。今、壊されたその跡に、ぶらりと垂れた南瓜の表情は、和尚には、何事か自然のユーモアとなって実り下った、真の笑いだったにちがいない。私はこういう笑いを聞いたのは初めてだ。ナンセンスの高級さ、ふかさは、このような孤独な南瓜のぶらりと下ったお尻の大きさをいうのだろう。これはまた、徳川夢声の、芸に似ている。まことに夢声の芸の酒脱さは、破れた日本の滴りのようなものである。

 九月――日
 初めて西瓜《すいか》を割る。今年は例年よりも二十日気候が遅れているとのことだ。
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