と即座に答えた。
どの田畑にどの種を選んで播くかということの難しさは、六十八歳になった達人久左衛門も、これだけはまだ分らぬとの事だ。おそらく一生かかっても分りそうにもないという。私らも連作してはならぬ茄子だったり、トマトだったりしているのであろうが、誰も訓えてくれるものではない。自分を工夫するとはどうすることか、それさえ誰も云ったものはない。いや、自分がトマトか南瓜かそれも分らぬ。七十年、百年たっても――。ただ一生の間にちらりと蝶の来てくれること、そればかり待っているのだ。支那の隠者たちは空しく死んでいったのであろうか。篆刻《てんこく》の美は、死の海に泛んだ生の美の象徴ではなかったか。
十一月――日
農家はどこも三日間刈り取り祭だ。盆、正月以外ではこれが最も大きな祝い日である。隣組のどの家からも餅を貰う。夕刻六畳の私の部屋は並んだ餅で半分点点と白くなった。家家に随って餅には個性がある。見ていると篆刻のようで、家の盛衰も餅の円形に顕れている。これはどこ、それはあそこ、と私は想像で当てるとほとんど的中したが、現在というものが餅に姿を顕しているのも、手で作った円形という最も簡単で、難
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