へだてが板壁だけで、下の湯水は一つに続いて断ってなく、午さがりの光線の射し込んだ透明な湯の底から、隣室の女の足のくの字に揺れる白い綾を見た。実に美しい。顔や姿がまったく見えずに、伸びたり縮んだりする足だけ見える湯の妖艶さは、遠い記憶の底から、揺らめきのぼって来る貴重な断片の翻える羽毛のような官能的な柔軟さに溢れている。これはここの湯舟だけであろうか。ネロに攻められ、侍女と二人で湯に浸りつつペトロニユスの死んでゆくときのあのローマも、このような湯の中の美しさはなかったであろうと感慨も豊かになり、私はなお女の足を見ながら、時間は相当前からつづいていたのだからもっと早くから眺めていれば良かったと残念に思っていた。
「あなた、お分りになって。」
 そのとき突然、隣室からそう呼んだ。声はたしかに妻のようだった。どうもおかしい。私はしばらく黙っていてから「お前かい。」と訊ねてみた。
「ええ。そう。」と妻は壁の向うで答えた。
「何んだ、いつ来た。」
「さっき、一時のバスで。お待ちしてましたのよ。」
「ふむ、もう少し脚を見せなさい。」
「いや。」と云って、妻はすぐ脚をひっ込めた。
「お前の脚は、夜の鹿
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