自分の家が焼けなかったということは、何より結構じゃないか。あの大きな東京は、もうないのだからね。お前は見ていないから、知らないのだよ。」と私は云った。
「そうね、あたし、知らないんだわ。それだからね。ぶつぶついうの。」
 妻はさしうつ向き、よく考えこむ眼つきである。

 そういえば、この村の人たちも空襲の恐怖や戦火の惨状というものについては、無感動というよりも、全然知らない。このことに関して共通の想いを忍ばせるスタンダアドとなるべき一点がないということは、今は異国人も同様の際だった。たしかに、知らせようにも方法のない村民たちと物をいうにも、も早や、どうでも良いことばかりの心の部分で、話さねばならぬ忍耐が必要だ。この判然と分れた心の距離、胸中はっきり引かれた境界線というものは、こちらには分っているだけで、向うには分らない。人情、非人情というような、人間的なものではなく、ふかい谷間のような、不通線だ。農民のみとは限らず、一般人の間にも生じているこの不通線は、焼けたもの、焼け残り、出征者や、居残り組、疎開者や受入れ家族、など幾多の間に生じている無感動さの錯綜、重複、混乱が、ひん曲り、捻じあい
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