のあばというが、金を出すから米を売って貰いたいと妻が頼むと、手を横に振り振り、
「金は要らん要らん。米はやるやる。」
と、あばは云う。話のあまり良すぎることは、こちらもそれに乗るわけにもいかないだけ、この福運はこれで断ち消えになったも同様である。
「困ったわね。ああ云われちゃ、お米も買えないわ。」と妻は歎いた。
しかし、人の懐勘定をするように先ずあそこには米があるのだと、ちらりと覗いたことになって、ますます私は自分の文筆の力を妻に誇って笑った。
「でも、履歴書ならあたしだって書けるわ。」と妻は無念そうだ。
「しかし、何んだかあの男は字が書けそうな人だと、僕のことを睨《にら》んだのだよ。あのあばは。睨ませたのはこの僕だ。これで小説を書くなんてことを知られちゃ、もう米も貰えないがね。」
「そうしたら、どうすればいいでしょう。お金も銀行から、いつ来るか分らないし、着物だって無くなって来たし、あたし困ったわ。」
「金が無くなれば川端に電報を打ってやる。まだあるだろう。」
妻はほッとしたようだ。
この村に困ったことが起っている。去年、米の供出の場合、村割当量が個人割当に変ったとき、供出せられるだけすべし、すれば一日四合分配給すると命ぜられたことがある。皆そのつもりになって、どこの村より真先にある限り完納した。ところが、四合どころか全然配給なしになった。結果は米を作らせられただけで自身たち食う米がなくなり、そのため村全体でない家を救いあうという始末だ、そして、今はその余力の続き得る限界まで来かかった米不足の声声が、満ちて来ている。ただ望むは秋の新米の生れることばかりで、「勝つために」という標語を掲げて瞞着した供出振りに対し、名誉を得たのは、ただ一人供出係りの実行組合長だけだという実感で、非難をその名誉に向けて放っている。非難の的の組合長は、参右衛門の妻の実家だ。またこの組合長は村で五位の、久左衛門と税金が同額で、何にかにつけ敵に廻って来ていた折の今年になり、ついに久左衛門から抜かれて来た。
「おれは何もかも知っとる。」と久左衛門は私に云った。「あの組合長の兵衛門は、駐在所へおれのことを、密告してのう。寺で笹巻売るというて、おれは駐在所へ呼びつけられた。おれは寺で笹巻売っても良いというから、完納してから売っていたのじゃ。はい、売りました、とおれは云うと、駐在所はのう、お
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