馬車の上に舁《かつ》ぎこんだ。馬子が手綱で一つひっ叩くと、鬣《たてがみ》を振り上げた馬は躍り上り、車が動いていった。私の荷は薄雪の中に見えなくなった。人より荷の方がつよく生きぬいて来たように見えるのは、どうしたことだろう。私は雪の中に立って轍の音の遠ざかるのを淋しく聞きながら、家の中へ這入った。
せつの式は新庄の婿の家で挙げられている。久左衛門の宅では留守式で、清江や私の妻は手伝いに行ききりだったが、夜になって、祝いが崩れ、乱酔した参右衛門の声が炉端から聞えて来た。妻や子供たちは恐れをなして早くから寝た。酒乱癖の彼の酔った夜は、清江はあたりの物をすべて取り片附けて傍へは近よらない。鉄瓶《てつびん》、薬鑵《やかん》、どんぶり鉢、何んでも手あたり次第に清江に投げつけ、「出て行け、帰れ。」といいつづける参右衛門の口癖も、今夜は結婚式で上機嫌に歌を謡っている。袴をつけた大きな顔をにこにこさせ、暫く皆を笑わせてはいるが、後はどうなるものか分らない。
「参右衛門が酔ったら、そっと座を脱して下されや。恐ろしい力持ちじゃ。おれはあれから殴られた殴られた。」
と、こう私に注意した久左衛門のこともある。子供たちが参右衛門の下手な歌を面白がってときどき蒲団から頭を上げるが、
「そうら、来るわ。」と妻に云われると、ぺたりとまたすっ込む。
しかし、隣家が結婚式だと思うと、誰でも自分らのそのときの事を思い出す。おそらく参右衛門の酔いにも、清江の幻影が泛んだり消えたりしていることだろう。二人は同級生で、卒業式の写真の中に一緒に二人の写っていたのを私も見た。
「これ、こ奴がおれの女房になろうとは、思わんだのう。それに、こ奴が――」
そう云っては幾度も突ッついた跡が、写真の清江の顔にぶつぶつとついている。家を飲み潰し、妻子を残して樺太へ出稼ぎに十年、浮き上ろうにもすでに遅い、五十に手の届いた私と同年の参右衛門の幻影は、節の脱れた鴨緑江節に変っている
「朝鮮とオ、支那とさかいの、あの、鴨緑江オ――おい、おいお前もやれよ。やれってば――」
足をばたつかせて清江にいう参右衛門も、ここの炉端で一人児として生れ、旅をして、またもとの生れた炉端で前後不覚に謡っている。暴れようと投げようと、人の知ったことではない。どう藻掻こうと鍋炭のかなしさは取れぬのだ。外では雪が降っている。
深夜になってから参右
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