毒石があるなら、真砂の浜は血で染っている筈だろうが、科学上の磊落《らいらく》な過失というものは、東洋人、殊に日本人は滑稽な偶然事として赦す寛大さを持って生れているのかもしれない。この医者は流行している。
会が終ってから、私を連行して来た人は私にこう云った。
「東北人というものは、どうしてこう馬鹿なんだろうか思いますよ。だって、東条、米内、小磯と三代も、一番馬鹿な、誰もひき受け手のないときに担がれて、まんまとその手に乗せられて総理大臣になる阿呆さ加減というものは、あったもんじゃありませんよ。みなあれは東北人だ。」
私はまたそれとは別のことを考えていた。誰も逃げ廻るところを引き受けた誠実さを認めずに、他のどこをあの人人から認めようとするのかと。しかし、これは今後の問題でむずかしくなることの一つである。誰からも一大危機と分っているとき、逃げ廻る狡猾さと坐り込む諦念と。危機でなくともこれは毎日人には来ていることだ。今夜も私は襲われて鴨にされ、こうして十年目に巡って来た一刻の夫婦の夕さえ失った。宿へ帰ったときは妻はもう寝ていたが起きて来た。
「どうでした。今夜のここのお料理は、それはおいしかったですよ。」
「僕の方は、あの有名な医者が出てひとり演説だ。おれはあの人の科学談を拝聴しに行っただけだよ。」
あの医者といえばもう分る。
「ああ、あの人ね、あの人ならそうでしょう。鶴岡にむかしいた人ですの。ほら、お腹の中へ、鋏を置き忘れたという人。」
妻もすぐ思い出したと見え、そう云ってくつくつ笑った。妙な人気である。しかし、宿へ帰ってこうして落ちついてみると、不思議な面白さが湧いて来るのを覚え、後が愉快だった。実に田舎らしい頓間な空気の中に溶けこんだ、あの医者の粗忽な逸話の醸す酔いのためかもしれない。
十一月――日
子供たちは正午ごろどやどやと部屋へ這入って来た。すると、もう服を脱ぎにかかって湯へ飛び込む。先ず一ぷく、などということのないのが、ぴちぴち跳ねる鱗の周囲にいるように感じて、私の一ぷくが一層休息らしく思われて来る。久左衛門の妻女が持たせてくれたという食用の黄菊の花を沢山袋につめて来たので、温泉の湯口の熱湯で茄でて食べる。妻は番頭が持って来た新九谷の茶器の湯呑が気に入ったといっては、それを眺めてばかりいる。
「あたし、このお茶碗を見にだけでも、もう一度ここへ来たい
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