終ったが、少しも要領を得ない。孔子の次ぎの時代にギリシャのソフィストに似た一群の隠者たちの思想に、私のまだ知らなかったものが多かった。文明を支えていたこれらの名も知れぬ高度の知性は、その高級さのために滅んでいき、吾吾に残されて来たものは概念の強い平凡な骨だけだということ。しかし、この骨を叩いてみて肉の音を知るには、よほどの年月を必要とすることだろう。先日、佐藤正彰君が東京から見えた折の話だが、同君の父君は漢学の大家の正範氏で先年七十幾歳で亡くなった学者――この学者は専門七十年の漢学の末、説文と称する文字の起源を調べる学問に達して亡くなられたが、これはまだ殆ど誰も手をつけたことのない学問の部とされている。
「あなたの専門のフランス語も七十年もかかりますか。」と私は訊ねてみた。
「それや、かかるでしょう。」
「じゃ、文学は一番かからないというわけになりそうだが、かかるかな。」
「それや、かかる。」
「じゃ、まだ僕は二十年だ。」
よろし、もう二十年、と、こんなところでどちらも笑ってから、その後で久左衛門に会ったとき、農家の仕事のうちで何が一番難しいかと私が訊ねると、
「種を選ぶことだの。」と即座に答えた。
どの田畑にどの種を選んで播くかということの難しさは、六十八歳になった達人久左衛門も、これだけはまだ分らぬとの事だ。おそらく一生かかっても分りそうにもないという。私らも連作してはならぬ茄子だったり、トマトだったりしているのであろうが、誰も訓えてくれるものではない。自分を工夫するとはどうすることか、それさえ誰も云ったものはない。いや、自分がトマトか南瓜かそれも分らぬ。七十年、百年たっても――。ただ一生の間にちらりと蝶の来てくれること、そればかり待っているのだ。支那の隠者たちは空しく死んでいったのであろうか。篆刻《てんこく》の美は、死の海に泛んだ生の美の象徴ではなかったか。
十一月――日
農家はどこも三日間刈り取り祭だ。盆、正月以外ではこれが最も大きな祝い日である。隣組のどの家からも餅を貰う。夕刻六畳の私の部屋は並んだ餅で半分点点と白くなった。家家に随って餅には個性がある。見ていると篆刻のようで、家の盛衰も餅の円形に顕れている。これはどこ、それはあそこ、と私は想像で当てるとほとんど的中したが、現在というものが餅に姿を顕しているのも、手で作った円形という最も簡単で、難
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