人だって、組合長になりたくないというのを、皆が引っ張り出して、ならせたのだからのう。」
と、清江は私の妻に、自分の実家をこっそり弁明した。
「いやだいやだ云うのに、無理矢理にならせての、――お上のいう通りにしたのが悪いのなら、どうしようもないだろうに。」
私はこの兵衛門を一度だけ見たことがある。四十過ぎの、愁いのあるひき緊った美男で、格子の外からちらりと眼に映ったばかりの感じでは、運の悪そうな人である。
この村の近くの村に、供出係りで、供出量が不足し責任を感じ自殺したものが一人いる。長い戦争中、このような責任観念のつよかった供出係りは全国に一人もなかったことは、これは東京の新聞も報じて有名なことだが、私のいるこの村も、それと似たところもある、どこの村より真っ先かけの立派な完納ぶりが、敗戦の結果、今になった米不足で、組合長だけ攻撃されて来たのである。
「あなたはどこにいらっしゃる。」
と私は鶴岡の街で人からよく訊ねられるが、西目だと答えると、ああ、あの村は良い村だと誰もいう。
十月――日
葱《ねぎ》の白根の冴え揃った朝の雨。ミルク色に立ちこめた雨の中から、組み合った糸杉の群りすすんで来るような朝の雨だ。峠を越えて魚売りの娘の降りて来る赤襷《あかだすき》。その素足、――参右衛門の炉端へ人が集っている。どうやらこのごろになって、村民は私をも隣組の一員として取扱ってくれるようになって来た。私も観察を止めよう。またそれも出来そうになって来ている。組長がこの集りの炉端へ役場からの報告を持って来て、云うには、――
国旗は命じたときでなければ出してはならぬ、道路は左側通行の厳守、十四歳以下の子に牛馬を曳かしてはならぬ、武器刀剣ことごとく提出すべし、以上、進駐軍からの命令だとの事だ。そして、組長は、
「これに違犯すれば、どう罰を食うか分らんぞよ。」という。
「そうか、そんなら、こうはしてはおれん。」
さっそく参右衛門は立ち上り、竹筒から、竿《さお》に縛りつけたままの国旗の小さいのをとり脱した。それから床間にかかった武運長久の掛軸も脱して巻いてしまう。
「やアやア、ひどいことになったわい。天子さまの写真だけは、良かろうのう。」
と、鴨居の上の御真影を見上げていて、これだけは脱そうとしなかった。
「ああ、負けた負けた。」と、一人がいう。
「供出のさせ方が、おれらを瞞し
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