な自然さに今も明瞭に現はれてゐる。東北では松島瑞巌寺、それから岩手の平泉。これらはみな大津の奥の院の土の色と似たところがある。この奥の院をなほ奥深くどこまでも行くと、京都へ脱ける間道のあるのは、ほとんど土地の人さへ知らないことだが、ここをほじくれば、一層珍しいさまざまなところがあるに相違ないと私は思つてゐる。私はそこの道も通つたことがあるが、道の両側は、ほとんど貝塚ばかりと思へる山々の重複であつた。
 青年時代に読んだ田山花袋の紀行文の中に、琵琶湖の色は年々歳々死んで行くやうに見えるが、あれはたしかに死につつあるに相違ない、といふやうなことが書いてあつたのを覚えてゐる。私はそれを読んで、さすが文人の眼は光つてゐると、その当時感服したことがあつた。今も琵琶湖の傍を汽車で通る度毎に、花袋の言葉を思ひ出して、一層その感を深くするのだが、私にもこの湖は見る度に、沼のやうにだんだん生色を無くしていくのを感じる。大津の街は湖に面した所は、静かで人通りも少く、湖に遠ざかるに従つて賑やかになつてゐるが、あれを見ると湖の空気といふものは、そこの住む人々の心から活気を奪ふのであらう。近江商人といふものは、自国では繁栄せずに、他国へ出て成功するのが特長であるのも、いろいろな原因もあるであらうが、一つは湿気を帯《はら》んだ湖の空気に、身も心も胆汁質に仕上げられ、怒りを感ぜず、隠忍自重の風が自然と積上つて来てゐるためかもしれぬ。この観察は勿論|滑稽《こつけい》なところがあるが、絶えず飽和してゐる気圧の中に住つてゐる住民の心理は、乾燥した空気の中にゐる住民よりも、忍耐心の強くなる事は事実である。
 いつたい胆汁質といふものは、胆汁質それ自身では成功はし難く、他人の褌《ふんどし》で相撲をとつて初めて役に立ち易いもので、腹黒とか陰険だとかいはれるのも、自然と他を利用するやうに出来上がつてゐるからである。私は去年大津の街を歩いてゐて、ぶくぶく膨れてゐる人の多いのに、今さら驚いたのであるが、大津地方の人は、物事にあまり感動を現はさない。むしろ他人には冷胆なところがあるやうに思ふのは、私だけではないだらう。



底本:「心にふるさとがある3 心に遊び 湖をめぐる」作品社
   1998(平成10)年4月25日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつく
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