あって、何を云っても彼を許しておけるのだった。
「父島まではどれほどかかるのです。」
「二時間です。あそこの電力は弱いから、実験は思うようには出来ないんですよ。それでも、一万フィートぐらいまでなら、効力がありますね。初めは海中では駄目だろうと思っていたんですが、海水は塩だから、空気中より海中の方が、効力のあることが分りましたよ。」
「へえ、一万フィートなら相当なものだな。うまくゆきますか、飛行機だと落ちますね。」
「落ちました。初め操縦士と合図しといて落下傘で飛び降りてから、その後の空虚《から》の飛行機へ光線をあてたのです。うまくゆきましたよ。操縦士と夕べは握手して、ウィスキイを二人で飲みました。愉快でしたよそのときは。」
 自信に満ちた栖方の笑顔は、日常眼にする群衆の憂鬱《ゆううつ》な顔とはおよそかけ放れて晴れていた。
「潜水艦にもかけてみましたが、これは、うっかりして、後尾へ当っちゃったものだから、浮きあがる筈《はず》のやつが、いつまでも浮かないんですよ。気の毒なことをした。でも、まア、仕様がない、国のためだから、我慢をしてもらわなきゃア。」
 ちょっと栖方は悲しげな表情になったが、それも忽《たちま》ち晴れあがった。
「日本の潜水艦?」と梶は驚いて訊ねた。
「そうです。いやだったなア、あのときは。もう実験はこりごりだと思いましたね。あれだからいやになる。」
 異様な事件が不思議と真実の相をおびて梶に迫って来始めた。では、みな事実か。この青年の口走っていることは――
「しかし、そんな武器を悪人に持たした日には、事だなア。」と梶は思わず呟いた。
「そうですよ。監理が大変です。」
「人類が滅んじまうよ。」
「その武器を積んだ船が六ぱいあれば、ロンドンの敵前上陸が出来ますよ。アメリカなら、この月末にだって上陸は出来ますね。」
 もう冗談事ではなかった。どこからどこまで充実した話か依然疑問は残りながらも、一言ごとに栖方の云い方は、空虚なものを充填《じゅうてん》しつつ淡淡とすすんでいる。梶は自分が驚いているのかどうか、も早やそれも分らなかった。しかし、どうしてこんな場合に、不意に悪人のことを自分は考えたのだろうか。たしかに、事は戦争の勝ち敗《ま》けのことだけでは済みそうにないと梶は思った。勿論《もちろん》、彼は自分が国を愛していることは疑わなかった。負けることを望むなどとは考えることさえ出来ないことだった。勝ってもらいたかった。しかし、勝っている間は、こんなに勝ちつづけて良いものだろうかという愁いがあった。それが敗《ま》け色がつづいて襲って来てみると、愁いどころの騒ぎでは納まらなかった。戦争というものの善悪《ぜんあく》如何《いかん》にかかわらず祖国の滅亡することは耐えられることではなかった。そこへ出現して来た栖方《せいほう》の新武器は、聞いただけでも胸の躍ることである。それに何故また自分はその武器を手にした悪人のことなど考えるのだろうか。ひやりと一抹《いちまつ》の不安を覚えるのはどうしたことだろうか。――梶は自分の心中に起って来たこの二つの真実のどちらに自分の本心があるものか、暫《しばら》くじっと自分を見るのだった。ここにも排中律の詰めよって来る悩ましさがうすうすともみ起って心を刺して来るのだった。先日までは、まだ栖方の新武器が夢だと思っていた先日まで、栖方の生命の安危が心配だったのに、それが事実に近づいて来てみると、彼のことなども早やどうでも良くなって、悪魔の所在を嗅《か》ぎつけようとしている自分だということは、――悪魔、たしかにいるのだこ奴は、と梶《かじ》は思った。
「その君の武器は、善人に手渡さなきゃア、国は滅ぶね。もし悪人に渡した日には、そりゃ、敗けだ。」と、何ぜともなく梶は呟《つぶや》いて立ち上った。神います、と彼は文句なくそう思ったのである。

 栖方と梶とは外へ出た。西日の射《さ》す退《ひ》けどきの渋谷のプラットは、車内から流れ出る客と乗り込む客とで渦巻いていた。その群衆の中に混って、乗るでもない、降りもしない一人の背高い、蒼《あお》ざめた帝大の角帽姿の青年が梶の眼にとまった。憂愁を湛《たた》えた清らかな眼差《まなざし》は、細く耀《かがや》きを帯びて空中を見ていたが、栖方を見ると、つと美しい視線をさけて外方《そっぽ》を向いたまま動かなかった。
「あそこに帝大の生徒がいるでしょう。」
 と栖方は梶に云った。
「ふむ。いる。」
「あれは僕の同僚ですよ。やはり海軍詰めですがね。」
 群衆の流れのままに二人は、海軍と理科との二つの襟章をつけたその青年の方へ近づいた。
「あッ、黙っているな。敵愾心《てきがいしん》を感じたかな。」と栖方は云うと、横を向いた青年の背後を、これもそのまま梶と一緒に過ぎていった。
「もう僕は、憎まれる憎ま
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