ルタンの城市に拡つた。
「大いなる神は怒つた。ガルタンは絶滅するであらう。」
恐怖の波が人々の胸から胸を揺るいでいつた。ガルタンの大路小路では、叩かれたやうに乱舞が止まつて祈りの声が空に上つた。その昔美しい妻を奪はれた独身者のカンナは、その夜、竊に階上の観台からガルタンの城市を見下した。
「ガルタンよ、爾は爾の醜き慣習のために滅落するであらう。嗚呼ガルタンよ。滅亡せよ。今や爾は吾のためにバタラビンの池のごとく亡びるときが来た。」
彼は醜い顔に市民に放つ復讐の微笑を浮べながら、酒を呷つて首筋の動脈を切断した。併し、彼はふと傍に立つてゐる飲み干した酒甕に気がつくと、その日会堂を震はせた自分の堂々たる雄弁と、酒甕と、自分の死体とを思ひ比べて物語つてゐる市民の言葉が浮んで来た。
「賢者は死んだ。賢者は自殺を怖れて美酒を飲んだ。賢者の言葉はエルサレムの卜者のやうに嘘言である。」
彼は酒甕を抱いて立ち上つた。そして、蹌踉として円柱を辿りながら部屋の中を廻り始めたが、四方の壁となつて積み上げられた哲学書の山々は、到る所でその偽善を湛へた酒甕の隠匿所になることを許さなかつた。が、最後に彼は庭園の池の底を胸に描いた。彼は衣の裾から滴る血の一線を床石の上に引きながら、長く緩慢に池の方へうねつてゐる石階を下つていつた。と、途中で彼の膝はがくりと前に折れた。彼は酒甕を抱いたまま、崩れた切石の隙から延び上つてゐる草の上へ転がつた。彼は起き上らうとして手に触れた立物に身を支へると、それは軟な一握の草だつた。彼は再び転がつた。が、彼の優れた智謀は咄嗟の間、彼の動脈の切断口を酒甕の口に着けしめた。間もなく、血は、ガルタンのために受けた不幸な彼の生涯を、その酒甕の中に盛り始めた。
「ガルタンよ、吾に倣へ。ガルタンよ、滅ベ。」
血は刻々に酒甕の底から、彼の確信ある復讐の微笑をその表面に映しながら浮き上つた。それと同時に、恰もそれに伴奏するかのやうにガルタンの祈りの声は、断滅しながら黒まつて長く続いた葡萄園の上から流れて来た。
「ガルタンよ、吾に倣へ。ガルタンよ、滅ベ。」カンナの頭は酒甕の口から切石の上へ辷つて落ちた。酒甕は顛覆した。血は彼の全身に降りかゝると、酒の香りを上げつゝ段階を一つ一つと下つて池の方へ流れていつた。
「聡明な賢者は死んだ。ガルタンに下つた福音は自殺である。」
翌日から市民の間に自殺が流行し始めた。初め彼らの多くは、穢れたガルタンの慣習に怨恨を持つ失恋者や疾病者や不具者であつた。が、彼らを先駆に立てて、その後日を追つて益々健全な市民の多くが自殺した。さうして最早や彼らの首の動脈は、僅か一片の嘲笑と冷顔とで購ひ得るにいたつたが、しかし、彼らはその生の終末に臨んで、各々廻廊の壁に市民の罪業の数々を刻みつけた。彼らの懺悔の心は、彼らの過去の悪業を刻み、彼らの怨恨は、生き残る市民の秘めた悪徳を彼らに刻ませた。このため、日ならずして城市の壁は、穢れたガルタンの罪跡を曝露した石碑となつて雨に打たれた。人々は壁から壁へと押し流れて、日々に現れる新らしい壁の文字を読み渡つた。
「あゝ、爾は吾に石を背負せた銀子をもつて、イスラエルの女の首に手を巻いた。」
「あゝ、爾は吾が妻の腹に爾の子を落して逃亡した。」
「爾はシユラミの婦女のために、吾の娘を葡萄のごとく圧し潰した。」
「爾は一片の番紅花《サフラン》を得んとして、シオンの商人に身を投げた。」
「爾はアマナの山の牝鹿のごとく、八十人の男子に吾の眼を盗んで爾の胸の香物を嗅がしめた。」
「あゝ婚姻の夜の爾の唇は、廻り遶つた杯盤のやうに穢れてゐた。」
ガルタンの城市では、このときから自殺の流行が衰へ始めると、それに代つて遽に殺人が流行した。怨恨者の復讐の剣は赤錆のまま、破廉を秘めた市民の胸へ公然と突き刺された。それに和してガルタンの賤民達は、一斉に歓楽の簒奪者として貴族や富豪を殺戮した。悲鳴と叫喚が幾日も続いていつた。廃れた花園や路傍の丈延びた草叢の中には、到る所男女の死体が、酒盃のやうな開いた傷口に雨を湛へて横たはつてゐた。併し、雨はます/\降り続いた。ガルタンの殺戮は次第にその勢ひを弱めていつた。が、それにひきかヘ、市民の肉体は日に日に激しい性の衝動を高め始めると、終にガルタンの城市はヘルモンの山上で、声を潜めた一大売淫所と変つて来た。彼らの中の薄弱な肉体は、横たはつたまゝに死へ落ちた。併し、空は彼らの頭の上で、夜を胎んだ雲のやうに層々として暗みを増した。さうして、今やガルタンの市民は、過去の一切の記憶を忘却し、眠りに落ちる青白い獣であるかのやうに、たゞ呆然と生きてゐるにすぎなかつた。
ガルタンの中央のガンタアルの大路では、二人の市民が雨に打たれたまゝ、凡ゆる刺戟に麻痺した鈍感な眼をして立つてゐた。
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