に漂《ただよ》わせていた。最早《もは》や酔の廻った好色の一人の宿禰は、再び座についた王の後で、侍女の乳房の重みを計りながら笑っていた。卑弥呼は盃《さかずき》をとりあげた王に、柄杓《ひしゃく》をもって酒を注ごうとすると、そこへ荒々しく馳けて来たのは反絵であった。彼は王の盃を奪いとると卑弥呼にいった。
「不弥の女、使部を殺した者は兄である。爾《なんじ》はわれに酒を与えよ。」
「待て、王は爾の兄である。盃を王に返せ。」と卑弥呼はいって、彼女は差し出している反絵の手から、柔《やわらか》にその盃を取り戻した。「王よ、我を耶馬台にとどめた者は爾である。今日より爾は爾の傍に我を置くか。」
「ああ、不弥の女。」と反耶はいって、彼女の方へ手を延ばした。
「王よ。爾は不弥の国の王女を見たか。」
「盃をわれに与えよ。」
「王よ。我は不弥の国の王女である。我の玉を爾は受けよ。」
卑弥呼は首から勾玉《まがたま》をとり脱《はず》すと、瞠若《どうじゃく》として彼女の顔を眺めている反耶の首に垂れ下げた。
「王よ。我は我の夫と奴国《なこく》の国を廻って来た。奴国の王子は不弥の国を亡した。爾は我を愛するか。我は不弥の王女卑弥呼という。」
「ああ、卑弥呼、我は爾を愛す。」
「爾は奴国を愛するか。」
「我は爾の国を愛す。」
「ああ、爾は不弥の国を愛するか。もし爾が不弥の国を愛すれば、我に耶馬台の兵を借せ。奴国は不弥の国の敵である。我の父と母とは奴国の王子に殺された。我の国は亡びている。爾は我のために、奴国を攻めよ。」
「卑弥呼。」と横から反絵はいった。そうして、突き立ったまま彼女の前へその顔を近づけた。
「我は奴国を攻める。我は兄が爾を愛するよりも爾を愛す。」
「ああ、爾は我のために奴国を撃《う》つか。坐れ、我は爾に酒を与えよう。」
卑弥呼は王に向けていたにこやかな微笑を急に反絵に向けると、その手をとって坐らせた。反耶の顔は、喜びに輝き出した反絵の顔にひきかえて顰《ゆが》んで来た。
「卑弥呼、耶馬台の兵は、われの兵である。反絵は我の一人の兵である。」と反耶はいった。
反絵の顔は勃然《ぼつぜん》として朱《しゅ》を浮べると、彼の拳《こぶし》は反耶の角髪《みずら》を打って鳴っていた。反耶は頭をかかえて倒れながら宿禰を呼んだ。
「反絵を縛《しば》れ。宿禰、反絵を殺せ。」
しかし、一座の者は酔っていた。反絵
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