た。そうして、芒の茎にたかると、濡れた鶏頭《とさか》のようにひらひらとゆらめいた。訶和郎は死体になった荒甲の胴を一蹴りに蹴ると、追手《おって》の跫音《あしおと》を聞くために、地にひれ伏して苔《こけ》の上に耳をつけた。彼は妻の傍にかけていった。
「奴国の追手が近づいた。乗れ。」
馬は卑弥呼と訶和郎を乗せて瀬を渡った。数羽の山鴨《やまがも》と雀《すずめ》の群れが柳の中から飛び立った。前には白雲を棚曳《たなび》かせた連山が真菰《まこも》と芒の穂の上に連っていた。
「かの山々は。」
「不弥の山。」
「追手は不弥へ廻るであろう。」
「廻るであろう。」
卑弥呼は訶和郎と共に不弥に残った兵士たちを集めて奴国へ征《せ》め入《い》る計画を立てていた。しかし、二人を乗せた馬の頭は進むに従い、不弥を外《はず》れて耶馬台《やまと》の方へ進んでいった。秋の光りは訶和郎の背中に廻った衣の結び目を中心として、羽毛の畑のような芒の穂波の上に明るく降り注いだ。そうして、微風が吹くと、一様に背を曲げる芒の上から、首を振りつつ進む馬の姿が一段と空に高まった。空では鷸子《つぶり》と鳶《とび》とが円《まる》く空中の持ち場を守って飛んでいた。
十三
その夜二人は数里の森と、二つの峰とを越して小山の原に到着した。そこには椎《しい》と蜜柑《みかん》が茂っていた。猿は二人の頭の上を枝から枝へ飛び渡った。訶和郎《かわろ》は野犬と狼《おおかみ》とを防ぐために、榾柮《ほだ》を焚《た》いた。彼らは、数日来の経験から、追手の眼より野獣の牙《きば》を恐れねばならなかった。卑弥呼《ひみこ》はひとり訶和郎に添って身を横たえながら目覚めていた。なぜなら、その夜は彼女の夜警の番であったから。夜は更《ふ》けた。彼女は椎の梢《こずえ》の上に、群《むらが》った笹葉《ささば》の上に、そうして、静《しずか》な暗闇に垂れ下った藤蔓《ふじづる》の隙々《すきずき》に、亡き卑狗《ひこ》の大兄《おおえ》の姿を見た。
卑狗の大兄の幻が彼女の眼から消えてゆくと、彼女は涙に濡れながら、再び燃え尽きる榾柮の上へ新らしく枯枝を盛り上げた。猿の群れは梢を下りて焚火の周囲に集ってきた。そうして、彼女が枯枝を火に差《さ》し燻《く》べるごとに、彼らも彼女を真似て差し燻べた。
榾柮の次第に尽きかけた頃、山麓の闇の中から、突然に地を踏み鳴らす軍勢の
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