と一緒に家へ帰って来た。
フランスの全罷業が大波を打ち上げてようやく鎮まりかかったとき、スペインの動乱が火蓋《ひぶた》を切った。梶はヨーロッパが左右両翼に分れて喧喧囂囂《けんけんごうごう》としている中を無雑作にシベリアを突っ走り、日本へ帰るとすぐ東北地方へ引き込んだ。彼は妻の父と母とに「ただ今帰りました」とお辞儀をしてから早速仏壇の前へいって黙礼した。
「やれやれ」
梶は浴衣《ゆかた》に着換えてから奥の十二畳の畳の上にひっくり返って庭を見た。日本人が血眼《ちまなこ》になって騒いで来たヨーロッパの文化があれだったのかと思うと、それまで妙に卑屈になっていた自分が優しく哀れに曇って見えて来るのだった。梶の組み上げていた片足の冷え冷えする指先の方で、妻の芳江は羞《はずか》しそうに顔を赧《あか》らめながら、
「お手紙|度度《たびたび》ありがとうございました」と礼をのべた。
「そんなに出したかね」
芳江は返事に困ったような表情で黙っていた。梶は特に自分を愛妻家だとは思っていなかったが、外国で一人の女人の皮膚にも触れなかったのを思い浮べると、なるほどその点では愛妻家の中に入れられるところもあるかもしれないと思った。しかし、梶がヨーロッパの婦人に触れなかった理由は特に妻を愛していたが故ではなかった。ただあのようなおどけたことをしている人間がいつでもそれ相当に苦心をして造った理窟《りくつ》に身を捧げているのが賛成出来なかっただけである。
「どうだ、君は日本人だというが、パリーの女は美しいだろう」
パリーで椅子を隣りにした外人が梶に訊ねたことがあったが、
「いや、日本の女はもっと綺麗《きれい》だ」と梶は答えた。
「それじゃ、踊り場へ行ったことがあるか」
「日本人は女や踊り場を好かん」
と梶は云うと、外人はびっくりしたように小首をかしげながら考えていたことがあったが、梶は今その顔をふと思い出すと突然面白くなって笑った。
「日本の女は外国の女よりもっと美しいと虚勢を張って云って来たが、どうして満洲からこっちへ這入《はい》って来ると、全く美しいのにびっくりしたね」
そう云って梶が何心なく足を組み変える拍子に、芳江の手に彼の足先きがふと触れた。初めて触れ合う皮膚であった。梶は思わず足を引いたが芳江のほッと赧らむ顔からも視線を避けて起き上ると、
「水をくれないか」と催促した。
度
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