味を覚えたのだが、説明の出来る種類の話ではないから黙っていた。強《し》いて説明を附けようとすれば、ドストエフスキイの悪霊《あくりょう》の主人公であるところのスタブローギンのある行動の話を持ち出さねばなるまい。その土地第一の資産家の一人息子であるスタブローギンが故郷へ久し振りに帰って来て、街の上流階級の集合場所で、礼儀正しくにこやかに微笑しながら人人の話に耳を傾けているとき、一番有力者の市長の前へ静に出ていって全く理由もなく突然その市長の鼻を掴《つか》んで振り廻すところがある。しかも、そのときのスタブローギンの表情はその動作を起す前と少しも違わずにこやかなのだ。この心理を説明する場合に作者のドストエフスキイは常に一言も語らない。全く後味の悪い作である。梶はスイスに起ったシュールリアリストの発会式の事実を確実にスタブローギンの影響と見ている。もし間違いであれば少くとも同質の心理脈の系統だと思っている。
 梶は以上の話をして興味のない顔をする友人には次ぎのような話をする習慣を持っていた。この話も事実ヨーロッパに起った隠れた出来事であるが、この話には会社の重役や社長や政治家たちで一驚せぬ者は一人もなかった。ある重要な位置にいる大官で梶の知人の一人は、梶にその話を是非一度講演してくれと云ったものもあった。梶の話とはこうである。しかし、この話と前の話とは全く違った事件だが奇怪なところで関聯《かんれん》があった。
 梶がハンガリアへ廻ったのは六月の下旬であった。ある日一人のハンガリア人に梶はマッチを貸してほしいと頼むと、そのハンガリア人はすぐ小さなマッチをポケットから出して、これ一つの値段は一銭であるけれども政府はこれを六銭でわれわれに売っていると云う。梶はこの経済上のからくりに興味を感じたのでハンガリア人を使って種種の方面から験《しら》べてみた。すると、そのマッチ一箇の値段の中から意外にも複雑なヨーロッパの傷痕《しょうこん》が続続と露出して来た。しかもその事実は全く経済上のシュールリアリズムの発会式とも云うべきものであり、知性が最も非理智的な行動をとらざるを得ぬ現今ヨーロッパの見本のようでもあった。あたかもそれは事実を書くことが一番確実な諷刺《ふうし》となるがごとき日本のロマンチシズムと一致している。もし日本に一人のスタブローギンがあれば市長の鼻を握って微笑しながら振り廻すこと
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