た。首を振り乍ら歩いてゐる馬や、唄を歌つてゐる頬冠りした人間や、車等が沢山往つたり来たりしてゐた。
(出て歩きたいな)と思ふと、両側の柱から垂らして口もとで結んだ縄を噛み切りたくなつて来た。と何日か二三度逃げ出た時、三四日の間一食もくれなかつた苦痛を思ひ出した。
(あんな目に合せやがる―)彼は首を振つた。風が吹いて来た。前の榊の枝がざわついた。下の道に白い塵埃が舞ひ立つて人も車も馬も飲み込まれた。鯉は竿に縋り、ガラン[#「ガラン」に傍点]が激しく鳴つた。塵埃が向ふの山の麓の方へ走り去ると又静になつた。そして暗くなつた山の峰が直き明るく輝いた。蓮華畑の横で女の子らが寝転びながら摘草をしてゐる。他の二三人は麦畑の中で隠れんぼをしてゐる。見つかるとキツ/\と云つた。お転婆らしい。掘り返した畑で大分腰の曲つた男が肥料を撒いてゐる。白い煙を吐いた下り列車が山際をノロ/\這つてゐる。石段の方から鈴の音が響いて来た。彼は急いで首をその方に向けた。赤銅色にギラ/\光つた顔の男が長い杖をつき乍ら下りて来た。男の顔には鼻がなくて真中に小さな孔が二つ開いてゐるだけである。
(妙な野郎、呉れるかしら?)が男は彼れを見るのは見たが、素通りした。
(あかん。おや! 又来たぞ)下から下駄を叩きつけるやうなあわたゞしい音がして来た。
(駄目駄目。奴は毎日通る奴だ。)
直ぐ下の方が又喧しくなつた。暫くすると五十人余りの子供らが教師に連れられて上つて来た。彼の前で教師は子供らを些よつと止めて説明した。
「皆さん。この馬は、日露戦争に行って、弾丸雨飛の間をくゞつて来た馬であります。馬でさへ国のため君のために尽して来たのでありますから、皆さんは猶一層勉強をして、国家のために尽さねばなりません。」
子供らは口をポツクリと開けてみな彼を見てゐた。誰も顔をほてらしてゐる。
(あいつらは何だらう俺をジロ/\皆見やがる。だが呉れさうもない)そして彼は食ひ残した前の五六粒の豆を拾つた。子供らは又饒舌くりながら、塵埃を立てゝ石段を昇つて行つた。彼は食ひ物がなくなると、何かそこらに落ちてゐないかと思つて、あたりを見廻した。が何もなかつた。眼の前の箱にもつた豆を食ひたいが口がとゞかぬ。つと榊の下に捨てゝあつた黄色な橙の皮に眼がついた。
(何だらう、あれや?)彼は色々考へてみたが遂々分らなかつた。然れ共食ひ物に違ひないと
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