變した樣に眺め入つた。湖の上から襲つて來てゐる霧は一望何物も見せずに眞白なまま流れて來ると、ううと重く呻くやうなう鳴りを上げながら、他の渦卷きの中に流れ込むでは、また速かな捻れた一群の霧となつて貫き走る。その度毎に樹の葉はそよぎ、湖面の渚の線が見えたり消えたりしつつ瞬時といへども停止をしない。間もなく張り渡つた蜘蛛の巣があわただしく動搖すると、茶を入れる湯氣まで亂れ流れて顏を打つた。べとつく縁側。たちまちにして冷える茶。私は一本の煙草をとつて火を點けると、煙りが立たない。さうして入れ變り立ち替り地面の上を逃げてゐた霧は、不意に方向を變じて部屋いつぱいに渦卷き流れて迫つて來たと見る間に、再び縁側の木目の上を綾を描いて逸走してゐる絲のやうな霧の中に吹き返した。どこか暗い奧の部屋の方から老人の咽喉にからまつた啖の音がぜいぜいした。私は水甕の底で泳いでゐる鯉や、金網の中の兎の姿を思ひ浮べながら、見るともなく湖の上を見てゐると、うすぼんやりと現れた波打際の線に從つて、鳥の群が一羽づつ陣列を造つて靜に霧の中を進行していく姿が墨畫のやうに眺められた。

 私は障子を閉めて外へ出てみると、女は山番のところへ使ひに行くのだと云つて私の傍へよつて來た。私は女の名前を今まで訊き忘れてゐたのを思ひ出したが、もう訊くまいと思ひ、彼女に別れの挨拶をしてから、しばらく二人で老けた鶯の鳴き交してゐる森の方へ歩いていつた。胡桃の枝からずきりと重く突き刺さるやうに滴りが頭の上へ落ちて來た。葡萄や茨の實や百合の花が、だんだん霧の中から浮き上つて見えて來た。女は兩袖を胸の上で合したまま俯向いて歩いてゐたが、また來年の夏は早くから來るやうにと云ふと、もう足もとから冷え上つて來る冷たさに、首を縮めて何事も云はなかつた。波の音が絶えず靜に霧の底からしつづける道を、私と女は、露で光つた枯葉や、丈のびた蕨や、羊齒の繁つた雜草の間を通つて、立ち籠めた霧にほの明るくなつた森の中へ這入つていつた。

 その日の午後私は霧の中を山を降りて目的の温泉場へ着いた。すると、忽ちそこは、休暇を利用して都會から集つて來た子供づれの客がごつた返してゐて、やうやく私は裏向きの日のささぬ一部屋へ押し込められた。私の部屋の隣室の主人は、もう頭の禿げ上つたどこかの役所の課長らしい年配で、同じ年格好の子供を五六人もつれてゐたが、どの子供も父親にぶら下るやうにして、絶えず「父《と》うちやん、父ちやん。」で父親を放さない。さうしていざ、寢るとなると、また子供らはあちらからもこちらからも、父を呼び合ひながら疲らせる。最後にたうとう父親も弱り果てたらしく、「もう一寸父うちやんを休ませてくれよ。父うちやんだつてもう疲れたよ。」と云つて降參した。ところが夜中になつて、一人の子供が息詰るやうな異樣な咳きの發作を起して咳き始めた。と、その部屋中の子供らは、あちらからもこちらからも、同樣な發作を起して咳き出した。やつと寢ついた父親は子供らの枕から枕へと渡り歩いてまた咳の鎭るまで介抱した。さうして翌日になると、再び子供らは元氣よく父親を引つ張り廻してはしやぎ廻つたが、その父親が子供たちと外から部屋へ歸つて來て、ほつと休息しながら川を眺め降ろして云ふのには、「あの流れてゐる水は皆違ふんだらうが、いつ見ても同じやうに流れてゐるね。奇妙なものだな。」といふのだつた。これが疲れ果てた課長のたまの休暇の唯一の感想である。私は貴重な言葉として隣室で紙にすぐ書きつけた。もう間もなく年中風邪の傳染し合ひをして咳いてゐる私の子供も二人、私を追つかけてここへ來るのである。私の休まるのもそれまでだ。



底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
初出:「中央公論」
   1922(大正11)年1月
※作品中「來」が63字、「来」が12字使われているが、すべて「來」に統一して入力した。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2004年5月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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