に久しくその武力を奪はれてゐた報酬として、彼らは商人となつて莫大な私財を貯へてゐた。此のためS城の市民の財力は、個人としてはるかにQ城の市民を凌駕してゐた。領主から解放されたQとSとの市民達は、突如としてその私財の多寡に従つて個人の権力を延ばし出した。
十五
S市はQ市を圧倒した。S市は私財を糾合した力に依つて、ひとり益々彼らの生産力を膨脹させた。彼らの生産が増せば増すほど、彼らの私財は増加した。彼らの私財が増せば増すほど、彼らの生産力は膨脹した。
今は、Q市はS市の勢力に対する唯一の妨礙として、S川の閉塞を命令することが出来なかつた。彼らはただ貧しきままに、正しき伝統と品位とを誇らかに尊重してゐなければならなかつた。
しかし、S市の海岸平野の上には珍奇な工場が竝び出した。S市の市民は、その混種の粗雑さを以つて新らしき文化を建設し始めた。彼らには伝統はなかつた。彼らには因習がなかつた。彼らは新らしき祖先であつた。彼らは彼らの力のまゝに、その生産と財力とを拡張すればそれで良かつた。彼らは彼らの障害となる凡ゆる古き習性と形式とを破壊し始めた。彼らは自由であつた。彼らには拘束がなかつた。彼らは気品と階級を蹴倒した。彼らは団結を憎んだ。彼らは個性を愛した。彼らは分裂した各々勝手な情熱を以て横に拡がつた。
さうして、S市の市長は忽ちの間にQ市の市民を併呑した。
十六
S市はその財力の豊かさを以つて、絶えずS川の開鑿を行つた。だが、Q市はその財力の貧しさの故に、絶えずQ川の堆積物を放任した。このため、Q川の浸蝕力の鈍るに従ひ、S川の浸蝕力はいつまでも増大した。S川の浸蝕力が増せば増すほど、ますますQ川はS川にその河水を掠奪されていつた。しかし、S市の膨脹力はS川の膨脹力よりも激しかつた。今やS市の要求する河水は、S川の水量だけでは不足となつた。さうして、Q川は遂にS河を助けるために、初めてその支流を閉塞された。
だが、Q市民はS市民に向つて反抗することは出来なかつた。何ぜなら、Q市民それ自身、今はS市民であつたから。かくして、SとQとの市街は、争奪し合つた二川のために一大都会となつて来た。
十七
SQの開析デルタの上には工場が陸続として建ち並んだ。鉄道の数は増していつた。S川の電力は馬力を上げた。船舶の帆檣は林立した。さうして、全市街は平面
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