誇っている。なんたる自然の偉大さであろう。出来得べくんば自分もこの水蓮の花のように、如何《いか》なる事件に逢おうとも心を動かすことなくありたい。これが加藤君の水蓮によって悟入した心境であった」
 師匠というものは弟子の心をよく知っているものだが、高次郎氏もまた、水蓮のような人として師の眼に映じていたにちがいない。この遺歌集の最後の二首は、また氏の最後のものらしく円熟した透明な名残《なご》りをとどめている。
「しののめはあけそめにけり小夜烏《さよがらす》天空高く西に飛びゆく」
「大いなるものに打たれて目ざめたる身に梧桐《あをぎり》の枯葉わびしき」 
 高次郎氏の師匠はさらにこの歌集の巻末に、加藤君はある夜役所の帰りに突然私の所へ来て、雑誌に出た自身の歌を全部清書したいからと云い、端座したまま夜更《よふけ》までかかって清書をし終えた。その後で酒を二人で飲んで帰途についたが、翌日加藤君の危篤の報に接し、次の日に亡くなった。人生朝露のごとしといえあまりのことに自分は自失しそうだと書いてあった。
 してみると、高次郎氏が電車に飛ばされたのは、自分の歌集を清書し終えたその夜の帰途にちがいないと私は思った。私には高次郎氏の死はもう他人の事ではなく、身に火を放たれたような新しい衝撃を感じた。一度は誰にも来る終末の世界に臨んだ一つの態度として、端座して筆を握り自作を清書している高次郎氏の姿は、も早や文人の最も本懐とするものに似て見え、はッと一剣を浴びた思いで私はこの剣客の去りゆく姿を今は眺めるばかりだった。
 高次郎氏が亡くなってからやがて一周忌が来る。先日家内は私の家の兎を食い殺した加藤家の猫が、老窶《おいやつ》れた汚《きたな》い手でうろうろ食をあさり歩いている姿を見たと話した。私は折あらば一度その猫も見たいと思っている。



底本:「機械・春は馬車に乗って」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年8月20日初版発行
   1995(平成7)年4月10日34刷
入力:MAMI
校正:松永正敏
2000年10月7日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全10ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング