たのである。
 彼は花粉にまみれた手で花束を捧《ささ》げるように持ちながら、妻の部屋へ這入っていった。
「とうとう、春がやって来た」
「まア、綺麗《きれい》だわね」と妻は云うと、頬笑《ほほえ》みながら痩《や》せ衰えた手を花の方へ差し出した。
「これは実に綺麗じゃないか」
「どこから来たの」
「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒《ま》き撒きやって来たのさ」
 妻は彼から花束を受けると両手で胸いっぱいに抱きしめた。そうして、彼女はその明るい花束の中へ蒼ざめた顔を埋めると、恍惚《こうこつ》として眼を閉じた。



底本:「機械・春は馬車に乗って」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年8月20日発行
   1995(平成7)年4月10日34刷
入力:MAMI
校正:もりみつじゅんじ
2000年9月1日公開
青空文庫作成ファイル:
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