し振りに皆で蕎麦屋へ出かけていこうとした。すると、松木がこんなに沢山揃っていっては見附かってしまうに決っているから一人ずつ行こうではないかといい出したので、それもそうだという事になって金を一人ずつ分けようとすると十円紙幣一枚よりない。それでは誰かこまかくして来たらと気づいてもまた町中まで一人いってはそのまま持ち逃げされそうな気がされて誰も一人に許そうとはしないのだ。これじゃ紙幣なんか有ったってなくったって同じことでどうしたら良かろうかとまた暫く黙ってしまうと、そのうちにこんなにいつまでも愚図ついていたんではもう宿屋の方でも気がついて追手を向けているかも分らないといい出すものもあり、追手が来ようとどうしようとこんなにお腹が空ちゃ動けやしないといい出すものもあって、じゃパンでも買って来るのが一番だと決ってもさてそれなら誰が買いにいくかとなると、また一度植えつけられた不安のために容易に誰も何んともいい出さない。もうそうまでなると不思議なもので病人を背負い込んでいる私だけがはっきり逃げも隠れも出来ないに定っているのだから、矢島の発案で皆の者は今度は私一人に金を持ってくれといい出した。しかし、私は私でそんな大事な金なんか持って皆から絶えず気をくばられていたりしては不愉快なので、いっそのこと皆の見ている前で病人の波子に金を持たしたら、当分は波子も誰も彼もから守られるにちがいないと思ったので彼女の懐へ金を押し込んだ。すると、今まで厄病神のように思われて皆から厄介扱いにされていた病人は急に私の肩の上でがっくりと落ちついた金庫みたいになって来て、今度は自然にその病人を中心にした一団の法則が竹林の中で出来始めた。先ず一団の男達は背後で誰かが百を数えるまで波子を背負って歩いてから交代するということになり、女は負う必要だけはないが数を算《かぞ》える番を交代にしていくことに決めて、そこで初めてその順番を決めにかかろうとすると八木が十八|拳《けん》で決めようといい出した。それじゃ一本歯で来い、いや軟拳にしろといい合っているうちにもう片方の二人から、は、は、よう、たち、はい、に、さんぼん、とやり出したので、傍で見ている女たちも笑い出して高木さんの方が手つきがいいのいや木下さんの方が締っているのといいいい波子を背負う順番だけを漸く決めると、もう先きに立ったものが竹林を出て歩き出した。

 しかし、
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