槌が頭の上から落《おっこ》って来たり、地金の真鍮板が積み重ったまま足もとへ崩れて来たり安全なニスとエーテルの混合液のザボンがいつの間にか危険な重クロムサンの酸液と入れ換えられていたりしているのが初めの間はこちらの過失だとばかり思っていたのにそれが尽く軽部の為業《しわざ》だと気附いた時には考えれば考えるほどこれは油断をしていると生命まで狙われているのではないかと思われて来てひやりとさせられるようにまでなって来た。殊に軽部は馬鹿は馬鹿でも私よりも先輩で劇薬の調合にかけては腕があり、お茶に入れておいた重クロム酸アンモニアを相手が飲んで死んでも自殺になるぐらいのことは知っているのだ。私は御飯を食べる時でもそれから当分の間は黄色な物が眼につくとそれが重クロムサンではないかと思われて箸がその方へ動かなかったが、私のそんな警戒心も暫くすると自分ながら滑稽になって来てそう手容《たやす》く殺されるものなら殺されてもみようと思うようにもなり自然に軽部の事などはまた私の頭から去っていった。
 或る日私は仕事場で仕事をしていると主婦が来て主人が地金を買いにいくのだから私も一緒について行って主人の金銭を絶えず私
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