が持っていてくれるようにという。それは主人は金銭を持つと殆ど必ず途中で落してしまうので主婦の気使いは主人に金銭を渡さぬことが第一であったのだ。いままでのこの家の悲劇の大部分も実にこの馬鹿げたことばかりなんだがそれにしてもどうしてこんなにここの主人は金銭を落すのか誰にも分らない。落してしまったものはいくら叱ったって嚇したって返って来るものでもなし、それだからって汗水たらして皆が働いたものを一人の神経の弛みのために尽く水の泡にされてしまってそのまま泣き寝入に黙っているわけにもいかず、それが一度や二度ならともかく始終持ったら落すということの方が確実だというのだからこの家の活動も自然に鍛錬のされ方が普通の家とはどこか違って生長して来ているにちがいないのだ。いったい私達は金銭を持ったら落すという四十男をそんなに想像することは出来ない。譬えば財布を細君が紐でしっかり首から懐へ吊しておいてもそれでも中の金銭だけはちゃんといつも落してあるというのであるが、それなら主人は金を財布から出すときか入れるときかに落すにちがいないとしてみてもそれにしても第一そう度々落す以上は今度は落すかもしれぬからと三度に一度は出すときや入れるときに気附く筈だ。それを気附けば事実はそんなにも落さないのではないかと思われて考えようによってはこれは或いは金銭の支払いを延ばすための細君の手ではないかとも一度は思うが、しかし間もなくあまりにも変っている主人の挙動のために細君の宣伝もいつの間にか事実だと思ってしまわねばならぬほど、とにかく、主人は変っている。金を金とも思わぬという言葉は富者に対する形容だがここの主人の貧しさは五銭の白銅を握って銭湯の暖簾をくぐる程度に拘らず、困っているものには自分の家の地金を買う金銭まで遣ってしまって忘れている。こういうのをこそ昔は仙人といったのであろう。しかし、仙人と一緒にいるものは絶えずはらはらして生きていかねばならぬのだ。家のことを何一つ任かしておけないばかりではない、一人で済ませる用事も二人がかりで出かけたりその一人のいるために周囲の者の労力がどれほど無駄に費されているか分らぬのだが、しかしそれはそうにちがいないとしてもこの主人のいるいないによって得意先のこの家に対する人気の相異は格段の変化を生じて来る。恐らくここの家は主人のために人から憎まれたことがないにちがいなく主人を縛る
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