知の人達は気の毒がつて二度と来てくれないことである。私は未知の人に逢ふのは厭な部類に属してゐる。第三に、幻想が豊富になること。これは貧乏街に住んでみない人には一寸分らない。非常に面白い所が多々あるのだ。一鉢の植木がどれほど快活に新鮮な感じを持つてその街を飾るかと云ふことも、人々はあまりに富貴を望んで鈍感になつてゐる時であるだけに、面白いことである。之は一例。まだ良いことは風景にも生活にも沢山あるが汚い家に住んでゐて悪いいけない事も沢山ある。未知の人々が来ると、いきなりあぐらをかく、之は悪い事でも不快な事でもまアないが確に滑稽な事ではないか。かう云ふ現象の生じると云ふ事の心理の分析は先づ各自の人々に譲つておいて、第一に訪ねて来て貰ふ人々に気の毒な事である。汚い家を訪ねる人々の気持ちには、その訪問をすると云ふことに誇りがない。誇りを与へないと云ふことはこちらが確にいけないのだ。この点私は恐縮するより仕方がない。で、私は成るべく来て下さいとは云はないのである。私はいけないことに非常にズボラである。手紙と云ふものはとても書けない。返事なども雑誌新聞の応答にさへ、どうも書けない。汚い家にゐるから
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