知の人達は気の毒がつて二度と来てくれないことである。私は未知の人に逢ふのは厭な部類に属してゐる。第三に、幻想が豊富になること。これは貧乏街に住んでみない人には一寸分らない。非常に面白い所が多々あるのだ。一鉢の植木がどれほど快活に新鮮な感じを持つてその街を飾るかと云ふことも、人々はあまりに富貴を望んで鈍感になつてゐる時であるだけに、面白いことである。之は一例。まだ良いことは風景にも生活にも沢山あるが汚い家に住んでゐて悪いいけない事も沢山ある。未知の人々が来ると、いきなりあぐらをかく、之は悪い事でも不快な事でもまアないが確に滑稽な事ではないか。かう云ふ現象の生じると云ふ事の心理の分析は先づ各自の人々に譲つておいて、第一に訪ねて来て貰ふ人々に気の毒な事である。汚い家を訪ねる人々の気持ちには、その訪問をすると云ふことに誇りがない。誇りを与へないと云ふことはこちらが確にいけないのだ。この点私は恐縮するより仕方がない。で、私は成るべく来て下さいとは云はないのである。私はいけないことに非常にズボラである。手紙と云ふものはとても書けない。返事なども雑誌新聞の応答にさへ、どうも書けない。汚い家にゐるからなほ相手の人々のやうにこちらもズボラをしていいと思ふのであらう。このため友人にも親戚にも不義理をかけて困る。またその弁解するにこれまた厄介なこと、ドウケンシイではないが、In many walks of life, a conscience is a more expensive encumbrance than a wife or a carriage; である。こんな英語位誰でも読める言葉だから訳しないでおく。分らない人は妻君に聞き給へ。但し、その時の妻君の表情には注意する可き必要がある。
底本:「日本の名随筆83 家」作品社
1989(平成元)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「定本 横光利一全集 第一四巻」河出書房新社
1982(昭和57)年12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2004年8月10日作成
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