が、国が文明になれば遊民も亦智識が進み、文明になる。それは、国が文明に進むに伴れて教育の進歩した結果、当然来ることで、それを恐れて教育を加減するが如きは可笑い話である。一国の文明に於て国民の智識は平等を欲するが、其の平等は高い程度に於てでなければならぬ。例えば大臣から下等官吏の間に、其の器度才幹に於て差はあっても、智識に於ては同じからねばならぬ。それでなくては一国の文明は完全なる進歩と発達を遂げることが出来ない。そう云う風に一般の階級の人間の智識程度を高めるには、一般の人間が高等の智識を受け入れることが出来るような設備が必要である。高等遊民が出来ることを恐れて教育の手加減をするなどは愚の極《きょく》だ。
最う一つ言えば、一体国民の智識の高まるのは必然の大勢である。文部省の方針や、制度の塩梅《あんばい》手加減で何うすることも出来るものではない。文部省の施設如何に拘らず、国民はそれ自らに大勢に依って進歩する。我々は高等遊民其の物を決して国家の為めに恐れるものではない。たゞ、高等遊民を恐れて、高等の智識に走らんとする国民の大勢を抑えんとするものあるを恐れるのである。
底本:「魯庵の明
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